幽霊の居所4 わたしはそれを食べたか―施餓鬼とブリヤ=サヴァラン、そしてやし酒飲み

初出:kader0d vol.8, 2014年7月7日刊

 或は鬼あり。食(じき)吐(と)と名づく。その身広大にして長(たけ)半由旬なり。常に嘔吐を求むるに、困(くるし)んで得ることあたはず。昔、或は丈夫(じょうぶ)、自ら美食を噉(くら)ひて妻子に与へず、或は婦人、自ら食ひて夫・子に与へざりしもの、この報を受く。
 或は鬼あり。食(じき)気(け)と名づく。世人の、病に依りて、水の辺、林の中に祭を設くるに、この香気を嗅(か)ぎて、以て自ら活命す。昔、妻子等の前に於て独(ひと)り美食を噉へる者、この報を受く。
 或は鬼あり。食(じき)法(ほう)と名づく。嶮(けん)難(なん)の処に於て馳け走りて食を求む。色は黒雲の如く、涙の流るること雨の如し。もし僧寺に至りて、人の呪(じゅ)願(がん)し説法することある時は、これに因りて力を得て活命す。昔、名利を貪らんが為に不浄に説法せし者、この報を受く。
[源信『往生要集』]※1

 お盆の盆は「盂蘭盆会ullambana」の一字。盂蘭盆会は父母祖霊を迎え供養する宗教的習俗である。お盆となれば現代ですら夏期休暇をとった親族が寄り合い、地域の祭りが催され、普段より贅沢なハレの料理を皆で食べ、仏壇にも供える。もともとは、僧侶が雨季に行う修業期間「安居」の最終日に、人々が僧侶へ飲食を施した習慣が転じたものなのだという。曰く、釈迦の弟子目連尊者、修行中に亡き母が餓鬼道に堕ちている様を神通力で見出し、それを釈迦に問うと、安居の終わる日すべての修行者に飲食が施されれば、その口を通して餓鬼道の亡者の口にも届くだろう―はたして、飢え疲れた修行者たちに布施が施され、その喜びは餓鬼道の亡者たちの口にも届いた、と。立派に修業したお坊様にお布施をすればあなたの父母祖霊に、ひいては死してのち貴方ご自身の霊にも、美味しいものが振る舞われますよ、という宗教団体の営業布教活動だ。
 これは往生の思想と微妙にはずれている。餓鬼道に堕ちた亡者を本質的に救うのは、供物で飢えを癒すことでなく、苦しみの根源たる食欲を捨てさせることだから。しかし、自分の親や祖先や、まして自分自身はそんな立派な魂など持ち合わせていない。悪癖やら出来心の悪事やらで思わぬ外道に堕ちてしまい、埒もなく嘆き苦しみおろおろしていても不思議ない、と思うのが凡夫。生きているあいだ、食うためにケチ臭く意地汚くやってきて、そのせいで食えない餓鬼道堕ちとは、この世もあの世も世知辛い。せめておつとめの年限―〈人間の一月を以て一日夜となして月、年を成し、寿五百歳〉―苦しむ間、わずかながら施し慰めをと願う。
 また、死んでからも飢え苦しむという着想の逆方向で、死ねば貧困や病苦から解き放たれ、望むものを好きなだけ飲食できると思っているフシもある。飢え死んだ故人の墓所や祭壇に、小さく盛った好物などを供える。「もうどこも痛くないし我慢しなくていい、このわずかな食べものも、あの世では器に尽きることがないから」と、こちらこそ救われるような思いがある。少しでも口にできるものを求めて力なく徘徊した子どもたち、口で味わうことなく経腸チューブからぎりぎりの栄養で生きていた終末期の家族―最期には、骨と臓器を皮で包んだような身体で死んだ者が、せめて死後ふくよかな笑顔で過ごせるように……
 このように時代と地域と信仰を超えて施餓鬼の、供物の習俗が受け継がれている前提には、まず人が死後にも食欲を持つのだという自明のような考えがあろう。食べるときに感じる甘美と充足と安心感があまりに大きく、我々は食べることのない幸福をうまく想像できないのだ。この世でもあの世でも、飲食は幸福であり、飲食が絶たれることは苦痛を超えた不幸と思える。だから餓鬼は哀れだし、ときとして「こんなうめぇもんが食えねぇとは、お釈迦様ってなぁ可哀想なもんだな」とすら口走る。
 我々は哺乳類として生まれ娑婆の空気に曝されてすぐから、口から腹へ飲食物を入れ続けねばならなかった。最初は乳(にゅう)を、じきに分離した水と食物を。細胞の素材となり新陳代謝の媒体となる物質を補給しなければ、ほどなく多臓器不全を起こして死ぬ。一個体にとっては、食べることに比べれば生殖すら必須ではない。生殖の成功は運次第であり、生殖できなくてもそのせいで個体が死ぬことはないのだから。我々がそもそも「動く」動機には、食べるという目的が原初としてあって、食べるために身体を動かし、身体を動かすために食べてきた。効率的に食べるために思考を始め、継続的に食べるため社会を構成した。宗教も安定的に食べることを願うシステムだった。この食欲と人間のつながりの根深さが、仏教的臨界点と抵触している。食欲が満たされなければ肉体は飢餓の苦痛に、精神は死への恐怖に陥る、と我々は考えているが、肉体は無常の色(しき)にすぎず、苦痛と恐怖も空(くう)である、と仏教は言う。我々がそのことを悟りさえすれば、すべての拘束は軽々と解け散る。なんということか。解脱は肉体の死に限りなく近い……端的に餓死することを即身成仏と呼ぶ強引な修行すら存在するほどに、それは壮絶な矛盾なのである。
 餓鬼道でうろつき回る亡者たちは生前、食欲のおもむくままに行動し、その報いを受けている。我が子に食べさせず自身だけ食べた、他人を害してその人のものを食べた、あるいは騙して巻き上げた金で食べた―さまざまな異形の鬼である。たとえば『往生要集』によれば、身の丈が三、四〇〇〇メートル、つまり山のごとき大きさの鬼が常に吐き気を抱えながら食べては吐いて、結局は飢えている。河を歩いて渡る人の足裏から滴る水、人が父母に手向けた水だけしか口にできない鬼がある。水の涸れた灼熱の海に、樹木の中に、餓鬼がいる。そして赤ん坊を生んではその子を食べる鬼……細かく指定された罪と、限定的具体的な罰。
 地獄絵に表れている餓鬼たちは骨そのもののような手足に大きく膨らんだ腹部を抱え、長い髪はばらばらと抜け落ち、裸身であるのに性別も判じがたい。この姿を、我々はよく見知っている。貧困地帯で極度の飢餓状態に置かれた子どもたちの姿に酷似している。絵師たちも絵を見る人々もよく知っていた。彼らは飢饉と疫病の巷で路傍にうずくまっていた。あの特徴的な腹の膨らみは、たんぱく質摂取不足のため、血中たんぱく質が減少して浸透圧が低下、血液中の水分が漏出して腹水が貯留したもので、子どもに多く見られる栄養失調の症状の一つである。
 昔も今も、たくさん生まれてきた子どもがよく飢える。そして多く死ぬ。それほどに子どもを飢え苦しませるこの身は、確かに報いを受けるべきなのだろう、と凡夫は思う。よくある小さな悪事と目をつぶってきた欲望の報いが、自分の腹に返されてきたらすべてそれは、断じて受けねばならない。そして吐きながら、雨の如く泣きながら、汚物や残滓を食らい遠い転生を待つしかない。

         * * *

 ここまできて、「食べない」という選択肢を検討する。
 たとえばいわゆる好き嫌い、偏食。特定の食べものを嫌悪し、ちょっとした空腹では食べない。味と香り、食感、見た目、その食物に関係する悪い記憶などが生理的嫌悪に直結し、その嫌悪感を押しのけることはなかなか難しい。意識的に努力し克服を試みてすら、できない場合が多い。本当に飢えれば食べるのかもしれないが、すでに食べものとも思われなければ腐葉土やプラスチックを口にするのと変わらない。生存に必用な食品栄養素が欠乏するほど食の偏りが顕著で、また長期にわたっていれば、やがて生活習慣病や栄養失調に陥ることになるので、そこでついに自分の食を見直すということになるのだろう。もちろん好き嫌いを貫いたっていいのであるが。
 ダイエット。ダイエットの主眼は「食べない」ことにあるのでなく、自身を意図的に軽微な血糖値不足とすることにある。糖質・炭水化物・油脂など身体のエネルギーになりやすい食物の摂取を控える。すると血糖値が下がり、諸々の生化学反応を経由して蓄積した体脂肪が分解され、エネルギーとして燃え、体重が軽減する。すなわち身体が痩細る。食欲を己の意志で抑制し身体的精神的苦痛を克服するという意味では宗教の断食に通ずるが、ここで到達目標となっているのは成仏でなく、主に現代先進国社会の「美」の通念に自分の身体を当て嵌めることである。我々はいま痩せて在ることが美しい。
 もちろんこの減量には限度があり、餓鬼たちほどに痩せてはならない(美しくない)のが一般的だが、何にせよ歯止めがきかない性分の人はおり、悪くすると摂食障害を引き起こす。栄養失調、肥満恐怖と強い食欲がせめぎ合うストレスで、拒食・過食にはじまる多くの疾患を生じる。貧血、低血圧、低体温、骨粗しょう症、(女性の)無月経、抑うつ―当然ながら免疫力が落ち感染症に罹患しやすくもなる。ときとして、死に至る。
 知ってのとおり正しいダイエット(食事療法)とは、美のみならず健康を目指すものなのである。適切な栄養バランスを保ち、適切な運動量で筋肉を発達させ、基礎代謝を上げ体脂肪燃焼を促進、生活習慣病の危険性を減少させつつ、美を保持していく―もちろん、もちろんすべての人がそんなにうまく行えようはずもない。多くの人が空腹に負け、日常的に断念しては何度も繰り返すのである。

 十八、十九世紀フランスで知的な食通を自認していたらしい司法官ブリヤ=サヴァランは、生涯を締めくくる著書『味覚の生理学』※2の中で、二十歳の頃の女友達(と彼は強調する)ルイーズが若くして亡くなった逸話を記している。ルイーズは〈器量よしで(中略)調和のとれた古典的肥満体躯〉つまりロココ絵画に描かれるような胸もお尻も大きいぽっちゃり型美少女だった。ところが顔色悪く頬がくぼみ痩せてきて、心配したブリヤ=サヴァラン青年が舞踏会で彼女をつかまえ話を聞くと、じつは友達から「二年もしたら聖クリストファのようなデブになるわよ」と宣告されて以来〈この一カ月間毎朝コップ一杯の酢を飲む〉ダイエットを行っているという。青年はあわててルイーズの母親に報告、家族は医者を呼び薬も飲ませたがすでに手おくれで、〈愛らしいルイーズは目もあてられぬ状態となり憔悴しきったあげくに永遠の眠りについた。享年わずか十八歳であった。〉
 酢を飲むダイエット法は現代にも流布している。御多分にもれず「適切に飲めば」クエン酸やアミノ酸など諸々の働きによって、疲れがとれ、血液サラサラ、冷え性が改善し、自然と痩せていく(?)、などの効果が言われている。しかし酢をそのまま飲むと胃が荒れるということも注意されており、一日一五~三〇ミリリットルを、水などで五倍ほどに薄めて食中に飲むようアドバイスがつけ加えられる。少女ルイーズは、おそらく薄めない酢をコップに一杯(一〇〇ミリリットル以上か)、朝、家族に隠れて、おそらく自室で空腹時に飲んでいた。これでは胃壁が酸で荒れ、胃痛を起こしていても不思議はなかったろう。胃が傷めば食欲は減退、下痢も起きる。彼女の望んだとおり、痩せることは痩せたわけなのであったが、苦しんだうえ本来の美しさも幸福感も失い、餓死に至ってしまった。
 ちなみにブリヤ=サヴァランは、ルイーズの逸話の前に肥満の弊害について警鐘を鳴らしており、原因について以下のように述べている。

 肥満症の原因の第二は、人が日常の主食としている小麦粉・澱粉類にある。澱粉質を糧としている動物はどれもこれもいやおうなしに太るのである。人間もこの一般法則をまぬかれない。
 澱粉は砂糖といっしょに用いられると、一層迅速確実に効果を発揮する。(中略)
 澱粉は、ビールその他これに類する飲料に含まれている場合にも、肥満作用を発揮することに変わりはない。常日頃ビールを飲む国民の中にはみごとな太鼓腹の持ち主が大勢見うけられる。※2

また痩せたいと願う読者に向かって粉とバター、砂糖、ジャガイモ、パスタ類、パンを禁じ、

ポタージュがお好きなら、青野菜、キャベツ、根菜などを入れて野菜スープにして召し上がること。(中略)粉類はどんな形のものであれ、食べてはいけません。焼肉、サラダ、野菜類など、食べるものはいろいろ残っているではありませんか。少しは甘いものも許してあげないとけないから、できればチョコレート入りクリームとか、パンチやオレンジ類の入ったゼリーを召し上がりなさい。(中略)あなたの食べてよいものはまだたくさんありますよ、いろんな果物やジャムの類などがね……※2

 生理学のはしり、いささか現代の知見と相違する点もあるだろうが、炭水化物を避け、良質の動物性たんぱく質と野菜や果物の繊維・ビタミン・ミネラルをたくさん摂るのはまっとうである。さらにストレスを解消するため少量の甘味を許すなど気が利いている。ブリヤ=サヴァランは同書中チョコレートの項を立て、滋養の多い健康食として推奨しており、コーヒーと比較して精神安定剤的役割も期待していたようだ。
 老いた彼がこのようなアマチュア生理学者になっていたのも、もともとは愛らしいルイーズの死を悔やむ気持ちがあってのことだったかもしれない。美食を堪能してきた老紳士は執筆にいそしみながら、五十年前、恵まれていながら飢えて死んだ少女に、新大陸アメリカの野生の七面鳥、パリのブーランジェリー・リメのフリュートを、食べさせたかったと思ったろう。

 さて「食べない」には、宗教や思想あるいは社会的背景によって、恣意的に設定された食の禁忌もある。たとえば肉食への反感または罪悪感で、動物性たんぱく質の多くを拒否する菜食主義。豚などの〝穢れ〟を排するユダヤ教やイスラーム。異物・薬物・放射性物質などの危険性が高い産地を、確認し避けるという禁忌もある。知能が高いとされるクジラやイルカ、犬猫などの伴侶動物、そして人肉は、拭いがたい背徳感によって法律や文化として禁忌になっている地域が多い。こういった食の禁忌は、今とても空腹だからちょっと我慢して食べてしまえ、と安易に言えるようなものではない。なぜならそれを食べて、食べさせてしまったら、自分や家族の〝精神〟や〝未来〟が損なわれてしまうからだ。それを食べた自分は、生きながら餓鬼道に堕ち、このさき永遠に転生も救いもない食欲の亡者―イスラームに餓鬼の譬えも失礼だが。「それを食べない」禁忌という、外部によって形づくられた自身の内部が、禁忌を破ったとき異形にはみ出す。その自分は、見たことのない鬼と映るだろう。

         * * *

 タイトル戦の晴れ着である羽織袴にココアの粉をかけてしまわぬよう、今年三十歳の渡辺明棋王は体を斜めにひねりガトーショコラを口に運んでいた。甘味を咀嚼する間にも眼は盤上をのぞきこむ。もう大方の検討では渡辺の勝ちが確実と言われているが、彼の向かいに座す挑戦者三浦弘行九段も右斜め上の宙を眺める独特な姿勢のまま長考し、自ら注文した大塚製薬の栄養調整菓子《カロリーメイト》に手をつける様子もない……
 インターネット動画共有サービス・ニコニコ動画では、多くの将棋タイトル戦およびイベント棋戦を生中継で配信している。将棋は動きの少ない、というよりほとんど考えているだけのゲームである。漫然と朝から晩まで対局者を映しているだけでは、ファンと言えども退屈する。この時間をもたせるため、別スタジオで対局映像を見ながら、別のプロ棋士と女流棋士のペアが解説を行うのが通例となっている。棋譜の詳細な解説はもちろん行われるが、合間合間に棋界・棋士の裏話、雑談などでゆるくつないでいく。詰将棋・次の一手問題や、視聴者からのメール質問などもあり、最近はここでのトークが知名度や人気につながるので、棋士たちの新しい重要な仕事の場となってきた。
 そうした中継で定番の人気コーナーとなっているのが、棋士たちの昼食とおやつの内容であろう。〝観る将〟=観る将棋ファンたちにとってはお楽しみである。決められた食事時間の少し前になると、解説者たちがこれから選ぶ食事について予想アンケートまでとられる。インターネット放送の大きな利点、双方向性である。答えが当たったからといって、とくだん正解者にプレゼントなどあるわけでもない。ただ複数回答のそれぞれパーセンテージが公開されるだけなのだが、それでも喜ばれている。タイトル棋戦の特設ブログでは、対局者の食べた食事とおやつの写真が必ず掲載され、インターネットで観戦しているファンは、そちらと見比べながらコメントを画面上に書き込んでいくのである。「うまそー」「こぼしたw」「カロリーメイト食べないの?」……対局者に見えるわけでは無論ないのに、はしゃいでいる。好きな棋士が食べている様子を見るのがうれしいのか、美味しそうな菓子や料理を見るのがうれしいのか。渋い色の和服を着て難しい顔で盤を睨むいい大人が、小さなフォークで手許を気にしながら小洒落た洋菓子を食べている。そのギャップは微笑ましく、緻密な頭脳プレイヤーたちの人間的な姿を見るのは意外性もあり、確かにうれしい。
 誰かが自分と同じ菓子を好きだとか、誰かが食べた食事の写真を見たいとか、何かのパーティのメニューを知りたいとか、とかく我々は他人の食べものに興味を持つ。食べものについての情報は、自分の目の前にあるその何かが、自分にとって食べられるものなのか(毒性は、栄養素は、好みは……)どうかでいいはずなのだが、奇妙にも他人が食べた絵の中の御馳走を喜んで見る。美味しそうと思うなら、もちろん食べてみたいとも思うだろう。食べてみたいと思う食欲は、満たされるかどうかまったくわからないのだから、この場合は苦痛になりそうなものだ。しかしそうでもない。ただただ知りたい、見たいのである。

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 むしろ、かつて飲食し、もう口にすることができないものが、より強く食欲に結びつく。子どもの頃に近所にあって、もうなくなってしまった中華料理店のしょっぱいラーメンだとか、母の幼友達のシスターに呼ばれ初めて立ち入ったカトリック教会で食べさせてもらったクッキーだとか、旅先の行き当たりばったりに入った居酒屋でおまけしてもらった地元だけで食べられる黒潮の初鰹とか……それらの味はもう幻のようなものだ。うまかった、としか思い出せない。にもかかわらず唾さえ湧いて、食欲につながっていく。
 チュツオーラ作『やし酒飲み』※3の主人公は、町一番の大金持ちの総領息子だが十歳のときからやし酒を飲むことしかしない。彼の父は、そんな彼に専属のやし酒造りを雇い、彼はこのやし酒造りのやし酒を毎日大量に飲み続けた。それから十五年後に父が亡くなり、その半年後にやし酒造りがやしの木から落ちて死んでしまい、彼にはやし酒がなくなる。ほかのやし酒造りの名人に会っても、彼が望むだけの量は誰も作れないのだった。誰も彼の処へ寄りつかなくなり、やし酒が恋しい彼は、死者の町へ、やし酒造りを呼び戻すための旅に出る―
 彼は初めやし酒を飲むしか能がないように書かれるが、どうしてなかなか賢明で度胸もある。旅は、奇妙な生き物と困難と暴力と恐怖に満ち満ちているものの、途中で助けた娘を妻とし、やはりなかなか賢明で度胸のあるこの妻と、力を合わせたり裏切り合ったりしながら進んでいく。やし酒造りとは死者の町で再会し、懐かしいやし酒を二十タル、さらに五十タル飲ませてもらうことができる。しかしつのる話のあと〈死者は生者とともに天を戴くことはできない〉と理解し、妻とともに元の世界に帰ることにする。帰りは帰りでまた大冒険なのだがどうにか帰還を果たし、やし酒造りが別れにくれた「卵」が、大飢饉に襲われていた世界に食べものと飲みものを提供し、一時的な救いをもたらす。
 物語の最期には、彼にとってやし酒が何であったかなど、どうでもよくなってしまう。とにかく彼はやし酒が好きで、自分専属のやし酒造りのやし酒は特別だった。しかしもう飲むことはできない。やがて彼が死者として死者の町に行くまでは……と言いたいところだが、彼と妻は旅の途中で死を売り渡してしまって死ぬことすらない。なんということだ。もう本当に二度と飲めないのだ。うかうかと、よく味わいもせず飲み干したきり。

 まだ食べたことのないものは、その味と香り、食感を知らない。眼で見ただけの食べものは強い憧れを持ち情報を得て、ああ食べてみたいとさまざまに想像し、それから食欲につながっていく。食べたことのあるものは、何かをきっかけに思い出し、あるいは忘れていたのを急に思い出して、思い出せばシュッと唾と食欲がわく。しかし、その味は、いま強烈に食欲がわいたのが不思議なほど曖昧だ。味の感覚は不確かで、食べているそのときにも、我々は本当にその味をわかって味わっているのか、自信をもつことができない。舌の上に数秒広がって消えていく、味、香り、食感を、どうして生涯憶えていられると信じうるだろうか。「わたしはそれを食べた」というその出来事すら含めて。

         * * *

 思い出の中にしかない味。自分自身ですらあやふやな、ほかの誰とも共有できない味と、その出来事の記憶。何万回と繰り返してきた「食べた」ということのうちの一回。
 かつて誰かの母親であった餓鬼道の亡者が、歯は失われ舌の干からびた口中に、不意に、かつて我が子と一緒に食べたはずの、どこか遊園地のソフトクリームの風味を甦らせる。それは誰かからの供物の味だったかもしれないが、一瞬にして彼女は若い母親に戻り、五月のある晴れた日、顔も思い出せない子と交互に舐めた、冷たい甘いまろやかな食べものを味わっている。
 ほどなくばさりと速やかに、その味、それを食べた、という実感は消え去る。あとにまた膨れた腹を痛めつける飢えが残り、一個の鬼はととと歩き、蹲り、また歩く。


参考文献
※1 源信著、石田瑞麿訳注『往生要集(上)』岩波文庫、1992
※2 ロラン・バルト、ブリヤ=サヴァラン著、松島 征訳『バルト、〈味覚の生理学〉を読む 付・ブリヤ=サヴァラン抄』みすず書房、1985
※3 エイモス・チュツオーラ著、土屋 哲訳『やし酒飲み』岩波文庫、2012

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