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メルボルン~私の初めての海外留学~ その3

涙のお別れ、次の出会いへ

あっという間に2週間が過ぎ、ここで過ごすのも今日で最後というその夜、ホストファミリーが私たちの部屋にやってきた。

「2週間とても楽しかった、ありがとう」

飾らないシンプルな言葉が、心に響いた。
英語がほとんど話せない、世代も国籍も違う私たちに、彼らもきっと最初は戸惑ったことだろう。
しかし、月日が経つうちに言葉などどうでもよくなり、お互いの存在そのものをまるごと受け入れ、理解し、会話がなくても自然に毎日笑顔で過ごすようになっていた。

翌朝、お別れの時。
いつもはうっとうしいくらいうるさい子供たちが、うつむいてさよならさえ言えないでいる姿に涙があふれた。

しかしお別れを悲しむ間もなく、私たちは次の家庭へと向かった。
今度はクラスメイトと一緒じゃなく、一人でホームステイしなければならない。
地元の高校に通い、そこの生徒のお宅にホームステイする。
ほぼ一日一緒に過ごすことになるホストスチューデントはどんな人だろうか。
そして、今度はどんな家庭にステイすることになるのだろう、不安でいっぱいだった。

ティモテのCMモデルみたいなアマンダと一緒にケーキ作り

「アマンダ」
聞きなれない名前のその人が、私のホストスチューデントだった。
彼女はティモテのCMモデルのようなきらきらしたブロンドの長い髪を持ち、美人で知的で落ち着きのある高校三年生だった。
女子高で友達と馬鹿な話ばかりしている幼い私にとって、彼女は同じ高校生とは思えないほど輝いて見えた。

学校まで両親と車で私たちを迎えに来ている家庭が多い中、私はアマンダと二人で歩いて家に帰った。
お母さんは仕事に行ってるの、と彼女は言った。妹と彼女とお母さんの三人で暮らしているという。
お父さんはいないのかな?と思ったが聞いてはいけないような気がして黙っていた。

帰る道すがらあれこれ質問されたが、緊張していた私はぎこちなくその質問に返事を返すことに精一杯だった。

いかにも外国という雰囲気の白くて可愛い平屋建ての家につくと、アマンダが「ケーキ作ろう!」言い出し、二人でケーキ作りをした。

ミキサーにケーキミックスと卵と牛乳を入れて混ぜるだけ、というおおざっぱなケーキ作りに、さすが海外!と英語漬けでぼんやりした頭で妙に感心した。

おちゃめで可愛い妹と優しいお母さん

ケーキが焼きあがるころに妹が帰宅した。彼女の名前はジェーン、まだあどけなさの残る可愛い笑顔が印象的な中学二年生。
おちゃめな彼女は少しはにかみながらも、私への好奇心を隠すことなく、臆さずストレートに話しかけてくれた。

そして、彼女たちのお母さんはひたすら優しく、いつも穏やかで、微笑みを絶やさない人だった。
初日の夜、彼女はピッチャーにたっぷりの水とグラスを部屋に持ってきてくれ、私が寂しくないようにとぬいぐるみまで用意してくれた。

それからも毎晩彼女は、ピッチャーに入った水と乾燥機でほかほかになった私の洗濯物を嬉しそうに持ってきてくれた。そして、今日はどんな一日だった?と会話するのが日課となった。

清楚で知的で美人な姉に、おちゃめで可愛くて明るい妹、そしていつもおだやかで上品で優しいお母さん。
緊張していた私はこの絵に描いたように素敵なファミリーに、すっかり安心して不安も吹き飛んでしまった。

楽しすぎる妹ジェーンとクラスメイト達

私は中高一貫の共学の学校に彼女たちと一緒に通い、アマンダと一緒に授業を受けた。
高校三年生の授業はクラス制ではなく単位制で、自分で選択した授業を受けるシステムだった。
私の語学力では、高校3年生の授業を英語で受けてもちんぷんかんぷんだった。
つまらなそうにしていた私に気を使ったのか、そのうちジェーンがクラスに誘ってくれるようになった。

アマンダの友人たちは、大人びていたし、単位制なのもあってか、みな個人主義で私に対しても挨拶をする程度だったが、ジェーンのクラスでは大騒ぎだった。
片言の日本語で話しかけてきたり、日本のことや私のことを質問したり、私の名前を漢字で書いてくれ、と頼んで来たり、すっかり取り囲まれてしまった。
私は次第に賑やかで楽しく無邪気なジェーンのクラスに馴染んでいった。

放課後はアマンダとそのボーイフレンドと近所のショッピングモールに出かけたり、ジェーンのクラスメイトが遊びに来て、一緒に晩御飯を食べたりして過ごした。

いつまでも口数少ない私を気遣ってか、時折他の家庭にステイしている私の友人を夕食に誘ったりもしてくれた。
ホストファミリーの気遣いもあって、英語に自信もなく、自分からはあまり積極的に話せなかった私も、段々楽しく過ごすようになっていった。


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