ぐりおのチョイ残し
ほぼ完ミルクだった長男(愛称どんぐり)のときに比べ、今回少しは母乳が出ているようで、授乳のたびにどのくらいミルクを作るか悩みます。
どんぐりは、常に与えるだけ一気に飲み干し、そのまま寝るか、更に催促してくるかのどちらかでした。
次男(愛称ぐりお)は難易度が高いです。
途中で力尽きて寝てしまって、少し経つと満腹になっていないことに気づいてまた泣いたり、時間をかけてなんとか100cc飲んだと思ったらゲップと共に大量に吐き戻し、一時間しないうちに空腹で泣いたり。
飲むなら飲んで寝ておくれ。
そもそも100ccというのが、多すぎるのかもと思い、80、60と減らしてみたりもしますが、今度はすぐに飲み干して足りないとばかりに騒いだり。
途中で力尽きるのは、哺乳瓶の乳首が合わないのだろうかと、サイズを変えてもみましたが、いまいち解決せず。
二人目育児で、授乳ひとつで、こんなに試行錯誤するとは思いませんでした。
そんな中、夫がポツリ。
「ぐりおのチョイ残し」
私、バカウケ。
何が面白いか、説明しますね。
(説明しなきゃいけない時点で、スべっているのは承知の上です。)
たとえば、山盛りフライドポテトをみんなで食べていて、最後の一本に手を出すのに気が引けて、なぜかなんとなく残ってしまう、という現象。
私の住んでいるあたりでは「南部のひとつ残し」と言います。
(南部藩の南部です。南部鉄器や、南部せんべいが有名です。おおまかに言うと、岩手の真ん中より北、青森の東南あたりが南部と言われる地域です。)
ちなみに同じことを、青森の津軽地方では「津軽衆」と言っていました。
「南部のひとつ残し」でネット検索すると、各地で様々、言い方があるようですし、その心理にも色々な謂れがあるようですね。
で、その「南部のひとつ残し」をもじって、
「ぐりおのチョイ残し」。
「南部のひとつ残し」という言葉自体、あまり最近耳にしていなくて、年配の方が言うイメージがあり、脳の引き出しの中でもしばらく開けていなかったところが突然開けられたようで、懐かしい匂いがプンプンして、笑ってしまいました。
遠慮しないで最後の一滴まで飲み干しておくれよ、ぐりお。
満腹なのか、足りないのか、それより何より眠いのか、本人もきっとよくわからないまま、ふがふがと日々一生懸命に生きているのでしょうね。
快適だったらスヤスヤ眠って、何かしら不快だったら泣いて、そんな様子から私と夫は、どうしたどうしたと不快の元を探ります。
ミルク80ccのメモリ、ちょうどそこに、ぐりおのちょうど満腹があるとは限らなくて、チョイ残ししたその量が、その瞬間のぐりおにとってはパーフェクトなのでしょう。
完母育児ができるほど母乳がたくさん出るお母さんが羨ましくもなりますが、授乳に限らず、育児も家事も、毎日が変化に富んで、トライの連続。
アタマもココロもたくさん使えていることが、私にとっては快適です。
それでも時々疲れてぼんやりしてしまう、そんなときに、口数の少ない夫がボソリと上手いこと言って笑わせてくれる。
言葉のコスパ、尊敬。
ミルクがチョイ残された哺乳瓶を洗ってくれている背中を、当たり前だと思わずに、「ありがとう」を忘れずに。
この家族で、優しく面白く生きていくことを、強烈に願って、今日のnoteはここまでにします。
読んでくださり、ありがとうございます。
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