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懐かしいってなんだ

懐かしさって、人のテンションを上げますよね。
不思議です。
「うわぁ、それ、懐かしいなぁ!」って言いながら、顔をしかめている人って、あまり見ない気がします。
笑顔で言うことが多くないですか?
「懐かしい!」って。

クラスにこんなやついたよね、というエピソードだったり、昔から売られている駄菓子だったり、大ブームを起こしたファッションやグッズだったり。
食リポで「懐かしい味!」というコメントをしていたら、それは褒めていますよね。

逆に、懐かしさを感じられる場所が、失われたり、変わったりしてしまうことを寂しがる心理もあると思います。
母校が廃校になるとか、商店街がさびれるとか。

年齢を重ねるに連れて、記憶のストックが増え、「懐かしさ」スイッチも増えますが、その一方で変化を嫌うようになりがちかもしれません。

私は高校卒業後、地元の花巻市東和町を離れ、年に一度も実家に帰っていない時期がありました。

特に、同じ県内の盛岡に住むようになってからは、親の方がこちらに出てきてくれて一緒に食事することはあっても、私が東和に帰ることはぐんと減りました。

地元にとても疎くなりました。
知らない店、知らない風景の割合がどんどん増えています。
もう何年も前から、ホームというより、アウェイのような感じがしています。

ずっと地元に残っている友達とも、お互い仕事に育児に忙しくしている間に、やり取りが減り、年賀状と、たまにSNSの投稿にいいねを付けるくらいです。

が。

この記事の趣旨は、「寂しいなぁ」ということではありません。

私はきっと東和に行けば、いわゆる「ウラシマ状態」を味わえるわけです。
住んでいたほんの一時期の東和の状態だけを知っている、元町民です。
浦島太郎は戸惑いますが、私はまあそうだろうと思っていますし、知らなさを楽しめる予感と余裕があります。

私が東和を離れてから、東和に住んだ人も当然います。その人は私の知らない新しい東和を知っています。そういう人に、今の東和を教えてもらえたら、楽しそうだな。
私はその人に、「ここ、前はこんな感じだったんだけど」と、少し過去のことを教えられるかも知れません。

そして、もっとずっと昔から、変わらず東和に住み続けている人は、東和今昔物語を語れる人です。聴きたい、その物語。

同じ地域に縁がありながら、その場所への精通度の違う人同士で、会って話したり、町内をぶらついたりできたら楽しそうだな、ということを、今年の初め頃に思い付きました。

新鮮さと懐かしさが入り交じって、色々な方向からテンションが上がるのではないかなと。
なんとなく、地域おこしにもならないかな、などと。

地元に限らず。
学生時代だけ住んでいた、居住期間は短かったけれど第二の故郷のように思っている、そんな場所でも良いですし。

場所をより好きになり、場所を共通点として人と人が共感し合ったり、情報交換できたりして縁が繋がる。

そんなウラシマツアー。
何か、カタチにできないかしら。
それとも、私が思いつくくらいだから、そういう企画、世の中にはもうあるのかな。

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