読書してみて考えた⑤小林秀雄と戦中派 中編

引き続き「信ずることと知ること」より
精神と脳髄の運動は並行していない。脳髄の記憶が宿っていると仮定されているところが損傷されますと、人間は記憶が傷けられるのではなくて、記憶を思い出そうとするメカニズム、記憶を感知する装置が傷けられるのです。(中略)人間はこの脳髄というものを持っているお蔭で、いつも必要な記憶だけを思い出すようになっているのです。(略)諸君はいつでも、諸君の全歴史をみんな持っているのです。

ベルグゾンはオーケストラの指揮棒に例え、指揮棒は脳髄の働きで、音は精神だといったという。僕は理性に従って話していると、科学的な理性ではなく、持って生まれた知恵だと、著者は言う。
だから理性は科学というものをいつも批判しなければいけないとも。

そして柳田國男さんを読みなさい、と。
柳田さんは、昔の人がしかと体験してきた魂、生活の苦労と同じくらいに平凡でリアルなこと(取り上げて論ずるまでもない、当たり前のこと)という健全な思想があったから民俗学ができたのだ、と。
現代のインテリは、そういうところまで下りてみなければ健全な思想が持てない、現代とは言ってはみても、講演は1964年。

インスタグラムのような自己顕示の寂しさ。
結局2世議員ばかりの政治と、なんだか的外れのやりとりにみえる取り巻きの記者たち。
物心ついた時に、自分の父親(開業医)が裸の王様にみえてしまった故の、私の低い自己肯定感。
我が子を中高一貫校や大学付属校にいれてしまうことへの抵抗感。

なんて考えるから、つい小林秀雄のインテリ嫌いに共感してしまう。
ジャーナリズムというものは、インテリの言葉しか載っていないんです。(略)左翼だとか、右翼とか、保守だとか、どうしてあんなに徒党を組むのですか。こんな古い歴史を持った国民が、自分で魂の中に日本を持っていない筈がないのです。インテリはそれを知らない、それに気がつかない人です。(略)インテリには反省がないのです。反省がないということは、信じる心、信ずる能力を失ったということなのです。

上記の前に(順番が逆になってしまったが)は

信ずるということは、諸君が諸君流に信ずることです。知るということは万人の如く知ることです。知るということは、いつでも学問的に知ることです。僕は知っても、諸君は知らない、そんな知り方をしてはいけない。しかし、信ずるのは僕が信ずるのであって、諸君の信ずるところとは違うのです。(中略)僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信ずることなのです。信ずるという力を失うと、人間は責任を取らなくなるのです。そうすると人間は集団的になるのです。

私が常日頃から子供や夫に対して口癖のように言っている
「好きにしな」
「よそはよそ、うちはうち」
「自分のことは自分で」

どれも小林秀雄の言葉を借りれば
「信じるのは僕が信じる」「僕が僕流に考える」ということになるだろう。
残念ながら我が子は現在、学校でやや浮いた存在になりつつあるようだが。

また
「苦労は買ってでもしろ」
「受験はハードル走、推薦入試は勿体ない」
「駅や塾の送迎は極力無し、路線バスに乗れ」
という私の考えも、小林秀雄が言う、柳田さんの健全な思想や、インテリ嫌い、に通じているように思う。

齢50にして私が、小林秀雄の講演に同調してしまうのは、もしかすると私が「恥かき子」
(高齢の親から生まれた子供を昭和の時代に呼んでいた。私は父42母33の子供。確かマツコも。私がマツコの発言に頷いてしまうのは同じ「恥かき子」だからだと思っている)
で、戦前生まれの親に育てられたからだと思う。今はやりの「親ガチャ」だけど。
振り返ってみれば、小中のアウトローな年配の先生方も戦前~戦中生まれだったんだな。
校内でチャボを解体して汁物を振る舞ったりしてたっけ。

「沈黙する知性」には戦中派の話がいくつか出てくる。例えば「小林秀雄の署名性」とか
「吉本隆明(ばななの実父)」とか。

私事だが、父が自宅療養2ヶ月、更に入院2ヶ月を経て、先月いよいよ老人ホームに入所した。もう実家で父に会えない現実、医師でありながら遠方ゆえ、父の介護をできない自分の情けなさ。それらが相まって尚更「戦中派」に思いを馳せてしまう自分がいる。

つづきます。





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