読書してみて考えた⑩「マチズモを削り取れ」おまけ

第8章 甲子園に連れてって
女子マネージャーについて。
以下、私の思い出話。ちょっと長い。
併願の私立高はひとつだったのに、ひとり片道2時間電車を乗り継いで受験したのに、あっさり落ちて公立の第一志望は諦めて自宅近くの高校にと親から言われた時のこと
「あんた野球部のマネージャーしたいって言っていたじゃない、○✕ならラグビー部は花園だし、○✕高校にしなさいよ」
そうだ、小学生の私は野球がしたかった。女だからと少年団に断られたから、高校でマネージャーをすると何年も前から、「タッチ」以前から、決めていたのだった。
ところが不幸なことに、○✕は私が中3の夏、創部以来初の甲子園出場を果たしてしまう。野球部はタイミングがいやらしいから、ラグビーかサッカー部のマネージャーをしよう(女子には出来ないものが良かった、自分がプレーしたくなりそうで)。
私は第一志望を諦めた。
ところがいざ入学してみると、可愛らしい女子の元に先輩達が勧誘に来るではないか。がーん。男女比ぴったり2:1だから47人クラスに女子は15人程度、進学校に華やかな女子は少数で、2、3人の決まった女子だけが連日勧誘され、とても「私やります!」と言える状況ではない。なかなかのショックで、しばらく立ち直れなかった。
結局、クラスのSちゃん+2人の計3人がラグビー部マネージャーに。2人は同じ中学出身で仲良く、必然的にSと2vs1で揉めていたよう。ある日私は、マネージャーで話し合いをするから付き合って(数合わせ)と言われ、Sと一緒に喫茶店に。内容は忘れたが、話し合いは決裂し、私達はコップの水をかけられる(!!)というドラマチック。あんなにやりたかったマネージャーって?私には無理だーと、長い時間をかけて学習したのだった。
ちなみにSとはずっ友で、高3の12月、OB招待の国立競技場早明戦に何故かマネージャーでもない私が、Sと部員と観光バスに揺られ行ってしまったくらい(Sは最後まで2人とは仲が悪かったのかも)。
あれから35年。
Sは真面目で運動神経も抜群だったから、マネージャーには勿体無いな、と当時の私は考えていた。でも当時母校には女子運動部はバレー部のみ(テニスや剣道、弓道など男子と一緒の個人種目はあり)。体育館の男子バスケ部とバレー部に挟まれた真ん中の細長い隙間で女子バレー部は練習していた。私は1年間ほど在籍したが、あの頃はそんなマチズモに疑問を抱くことはなかった。
昭和の最後の頃の話。
男女雇用機会均等法ができた頃の話。

繰り返すが、あれから35年。
平成も終わり令和になって、今や女子野球、サッカー、ラグビーだってある。それなのに、いまだに女子マネージャーはいる。
少子化なのに、不思議。

本書では、某高校野球部のマネージャーが、負傷した部員がマイクロバスに乗ったため、真夏に3kmを走ってグラウンドから本校に戻った後、低酸素脳症で亡くなったという、何とも痛ましい事故の記述。
熱中症のリスクをどうこう言うつもりはない。私が著者に共感したのは、「亡き女子マネージャーに捧げる2本塁打」という見出しのその後の新聞記事の気持ち悪さだ。女子マネージャーを甲子園に連れていく…みたいな。間違いない。選手側、マスコミ側の上から目線、これが気持ち悪さの元だ。
そういえば高校時代も「オイ!マネージャー!」みたいな偉そうな同級生はいた。オラオラ男子に魅力を感じてしまう女性もこの世には結構いるから、マチズモを削るのはなかなか大変なことだと思う。
ちなみに在京テレビ局の女性社員は23%(2019年)、役員5%と書いてある。報道や制作、情報制作の部門に限っては、最高責任者は見事にゼロ%らしい。そりゃ、「お母さんありがとう」の番組や、美人すぎる○✕のような雑誌記事がいつまでもあるわけだ、と納得。
でもな、男子家庭科必修世代がアラサーになり、Z世代が社会人になった現在、もしかするとまもなく世間では、
「マチズモ≒老害」
なんてことになるのかも、と考えた。

パンドラの箱が開いたように色々思い出したから、東京医大入試の話は次回。
つづきます。

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