谷家旅行①イタリア~プーケット前編


2003年12月7日
前日、神前式~披露宴~二次会、三次会となり、ホテルに戻り起床。一生一度と式場のセミスイートも滞在時間は体感5、6時間。野外ジャグジーもあった。遠路はるばる貸切観光バスで式場まで来てくれた夫の親族を午前中に見送ったあと成田へ移動。
しばらく日本食は食べれないだろうと、イオン近くの寿司割烹でランチしてから日航成田にチェックインした。旅行期間中ホテル駐車場を利用できる。夕食はホテルレストランで、アラカルトの洋食だったが、一人前の量多く皿も大きく、すでに海外気分。

12月8日
ホテルの送迎バスで、空港へ。
目的地はフィレンツェなのにタイ国際航空。
理由は、
1せっかくの新婚旅行はビジネスクラスで
2イタリアからの帰路、アジアリゾートで時差調整したい

結果、知り合いの旅行代理店がお値打ちに用意してくれたのがタイ航空のビジネスクラス だった。
午前便だったため夕方までにはバンコク到着。時代柄スワンナプームではなくてドンムアン。ローマ行が深夜のため空港内で半日過ごした。ラウンジとマッサージを行ったり来たり、喫煙所で親日家のジョルダン人に話しかけられ、??、ジョルダンってヨルダンのことか、後になって気が付いた。
おそらくボーイング747の2階席で一泊。ビジネスだから乗り込むたびにシャンパンとチーズやフルーツのワゴンサービス。ありがたや。

12月9日
早朝ローマ ファウミチーノ空港に到着、乗り継ぎのため国内線ターミナルに移動するも、時間早く閑散としていて不安になる。アリタリア航空の小さい飛行機、おそらくフォッカーに乗り込みフィレンツェに。天気は良好。
荷物も無事に出てきて、タクシーで市街へ。3泊予約してもらった駅前のホテルにチェックイン。早速市内散策へ繰り出すも、今のようにスマホもなく、かろうじてドゥーモ、ベッキオ橋散策して、カフェで、一息。その後高台のミケランジェロ広場?から街を見渡した頃には日が暮れはじめた。
ホテル近くのレストラン(というよりピッザテリアのようなラフなお店)で夕食。長時間移動のせいか時差のせいか、即爆睡で、長い一日が終了。
悲しき貧乏性、ドゥーモの有料エリアや、ウィッフィ美術館なども入場していない。フィレンツェは私にとってイタリアの宿題になった。

12月10日
夫が新婚旅行はイタリアと言った理由はフェラーリ工場。友人から話を聞いて「自分も工場前のレストランに行きたい」と言っていた。
フィレンツェからモデナまで往復の列車チケットは代理店が用意してくれ、朝サンタマリアノヴェッラ駅まで行くもリタルド、遅延。なんとか指定 の席に乗り込むが、途中から学生と思われる女子4人組が乗ってきてコンパートメントは満席に。気まずい時間が流れて、モデナに到着。
何の下調べもなく来てしまい、カタコトの英語でバスターミナルまでたどり着き、やっとの思いでフェラーリ工場前のレストランに着いた時は午後2時過ぎだったと思う。お客も少なく閑散としていた。何を食べたかも覚えていない。
売店(フェラーリショップと言うらしい)でメモ帳、マウスパットや、生まれてくる子供にTシャツなど購入。あれから17年経つが、辿り着くまでの苦労を考えると、いまだにどれも捨てられないでいる。
今回改めて調べたところ、フェラーリ工場はマラネッロにあり、レストランは<リストランテカバリーノ>、工場見学はフェラーリ正規代理店購入者のみ、らしい。
帰途、夕方霙混じりの寒空で、バス停にバスがきた時は本当に安心した。帰りの列車も勿論リタルド、列車を待つホームでスイス行きの国際列車が通過して、いつの日かまた列車で欧州旅行をなんて思う。2021年現在いまだにできていないが。

12月11日
急遽、一日ベネチア観光に行くことに。
というのも‥
前日朝、列車が遅延したため、フィレンツェ駅をうろうろしていて外国語対応の券売機を発見。確か日本語もあったと思う。夫とフィレンツェから足を伸ばそうと盛り上がり、ミラノ?ローマ?やっぱベネチアじゃね?と一等の往復指定券を確保していた。
列車は雪山や田園を抜けて、長めの橋を渡り、ベネチア サンタルチーア駅に到着。残念ながら曇天。 駅の階段を降りると、ゴンドリエ に声を掛けられるが、まあまあの金額だったと思う、ここでも貧乏性が出てきて結局、乗り合い船に乗り込み、サンマルコ広場に。
途中、傷害事件か強盗か、パトカーに遭遇も、パトカー(厳密にはカーではない)も船でだった。当たり前のことか。
12月の小雨混じりのせいか、広場にはカフェの椅子も、観光客も無く閑散、夫がベネチアきたらイカスミでしょ、と言うので小さなレストランでランチ。迷路のような街でFENDIを見つけ、物心ついたときから姉弟のようにしていた従姉妹が好きなブランドだからお土産をと買い物していると、気が付けば列車の時刻が迫っていた。サンマルコ広場から駅までは島の端から端、取りあえず走って駅に向かうことに。橋をいくつか渡り、なんとか駅戻ると、始発のため列車はホームに。ふと「ここはもしかして映画<旅情>のエンディング?の舞台か」と気付く。再び長い橋を渡ってベネチアをあとに。
夕食は最終日だからと、ホテルのレストランにした。赤身の牛肉バルサミコソース、多分人生初(あの頃日本の田舎ではバルサミコ酢なんて売っていなかったはず) ガッツリのバルサミコが美味しかった。 もちろんワインも。

おまけ
フィレンツェ駅で自動外貨両替機を発見。前日簡単にベネチア行きの切符が手に入り、我々は調子に乗っていたと思う。
夫が入れた一万円札は二度と戻ってこなかった。谷家は当時も今も基本、夫婦別会計だから夫の一万円である。何で最初に千円でなく諭吉を入れたのか、夫にとってはフェラーリレストラン以上の旅の思い出になったらしい。

つづきます。

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