その日私は目の前を通りすぎる蜘蛛を見て、私がこの蜘蛛として、そしてこの蜘蛛が私としてこの世に存在した可能性をぼんやりと考えていた。私がヒトである運命の気まぐれは一種の悪戯にも感じてしまう。思考は徐々に生命のヒエラルキーについて、続いて私が生きる上で避けられない存在「自己」について派生していた。「わたし」は一生、私から逃れることは出来ない。それがどういうことなかと想像すると、先の見えない将来への不安が無性に募った。 社会が自分向きではないと気が付いた時、それに合わせるか、
夜の京都の街を友人とぶらぶらとあてもなく歩くと、曲り角にほんのり明かりが灯った小さな店があった。“coffee and cigaretts“ならぬ、“coffee and wine“の文字。現代の禁煙推奨傾向のためにここの代替案はワインか、と思いながら店に入ると、6畳ほどの店内で外国人と日本人が同比率に混ざり合っていた。 お酒は苦手なので、コーヒーを飲もうかとメニューを手に取るとアイスクリームの文字をみつける。すると、”I scream! you scream! we al
3月の下旬、積読はあるのに何も読めていない状況を打開するために本屋に入った。手始めにお気に入りの海外文学の棚をチェックする。そのとき、ふと目に入ったのが「ペーター・ハントケ コレクション1」。ある友人から勧められたことのある作家で、彼の戯曲を一度読んでいたこともあり、手に取った。 表紙をめくると、目次に「長い別れのための短い手紙」と「幸せではないがもういい」という二つの短編小説のタイトルが並んでいる。その妙に閉塞的な言葉に惹かれ、本を購入し、ゆっくりと読み進めた。 「長い
先日、とあるwork shopに参加した際のわたしはどこからともなく社交性バツグン!モードが自然発生して初対面の人にもこれから皆んなでご飯行きましょう!なんて誘ってしまう始末だった。その日のわたしは生きるのが格別に上手いな、と感心していた。 しかし今朝は一変、わたしはゼンマイ式アヒル玩具とそっくりだ、と思いながら電車に乗っていた。少しサビついた感じではあるがボディにはチョッキの絵が描かれ、頭にはちょこんとハットが乗っている洒落っ気があるやつ。けれど目は真っ黒で光が入っていな