noteと私
フォローしている数が偶々覚えやすい数だったので、ある日一つ減っていることに気づいた。何故?と思っていたところ、私の記事にスキしてくださった方の記事を見に行ったら、その方が以前のアカウントを消し再度またアカウントを取得されたことがわかった。名前に見覚えがある。
私がフォローしていたアカウントが消えたから減ったのか、と合点がいき、フォローしたので、また覚えやすいフォロー数になった。
その方の記事を読んで、note記事が消えることもあるよなぁ、と思ったのと、自分も記事を消すことがあるかもしれないんだなと思った。改めて、自分のnoteとの付き合い方を書いておきたい。
初めての記事は、2022.1.5だった。
同じボランティアをしている方々へ向けて、レポート記事を書いて周知するのが目的だったので、それ用アカウントのつもりだったが、学習支援の活動で思ったことを書く場となり、今や自分メモやただの雑記も置いている。
読むこと
毎日読んでいる。フォローしている方の記事とか、スキをいただいた方の記事とか、オススメされた記事とか。
書くこと
内容のトーンは、母親や友達とする茶飲み話に近い。週末に書いている。
スキ
《すること》
最後まで読んだら大概している。
自分のために必要で書いているのだな、と感じる記事を好んで読んでいると思う。
《いただくこと》
嬉しい。
フォロー
《すること》
また読みたいと思うとする。が、そう思ってもしないこともある。
《していただくこと》
嬉しい。けれど、あまり気にしていない。
リアルに交流のある方のフォローが無くなったら気になるだろうが、たぶん気づかない。抑々フォローしてくれてるリアル友がほとんどいない。
コメント
あまりせず、されるとも思っていないため、コメントいただいても気づかないことがあった。ごめんなさい。
管理する意志薄弱なので、スキやフォローはテキトーです。押したつもりで押ささっていない(方言?)など、よくあります。使い方がわからないnote機能がたくさんあると思います。
私が一番読んでいるのは自分の記事です。毎日何か読みます。
書くことで、頭が動いたり気がついたり思いがけないところに行けるのが楽しいことはそうだと思ってましたが、自分の文章で自分が整うことを知りました。読んで「確かめる」ことが心の安定に繋がっていると思います。反省文は反省の記憶が蘇るのでちょっと違いますが、自分の記事を読むことが休憩になっています。
趣味活動で子どもと接する時間があるので、そこで思ったことは誰かに聞いて欲しい気持ちになります。そういう記事への「スキ」は、子どもへの応援と受け止めています。
内容よりも、noteの使い方に私と似た部分があると感じる方の記事が好きな気がします。それは、noteに限らないことかもしれませんが。