「ムー」8月号の「海人」について

ものすごく久しぶりの投稿です。

なぜ、書く気になったかと言うと、「ムー」8月号に

無視できない記事を見つけたからです。

https://gakkenmu.jp/n/n0818a44adc07


この記事は、天武天皇の時代に日本で「天皇」という言葉が使われ出したのは何故か? というテーマで、唐の高宗の后、則天武后と天武天皇をつなげようとして、能の「海人」を出してくるのですが、

実はこの「海人」、以前、私が書いた記事

https://note.com/rie1/n/n05c5ad5be74e

に出てくる「海女の珠取り物語」を元に作られたお話なのです。


「海女の珠取り物語」は、

さぬき市志度にある志度寺に伝わるこんなお話です。

https://www.japanmystery.com/kagawa/sidoji.html

「ムー」では、天武天皇の皇子時代の名前が「大海人皇子」だったことから、能の「海人」は、天武天皇のことだと考えたようですが、

能の「海人」は、不比等の妻となった海女のことなのです。

そして、「ム-」では、唐の高宗に嫁いだ不比等の女きょうだいを「則天武后」だとして、天武天皇を、「高宗皇帝と則天武后の間に生まれた子」としています。

いやー、さすがにそれはないかと。

そもそも、天武天皇の方が、不比等よりずっと年上なのに、不比等の妹の子であるはずがありません。

天武天皇 622~631年の間に生まれる。

藤原不比等 659年生まれ。

則天武后 624年生まれ

藤原鎌足 614年生まれ。 669年没。

そして、不比等には、天武天皇の兄(?)天智天皇の落胤という噂も(w)

#ムー


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