作品と作家の乖離性についての独り言

ここ数年で私にとって衝撃的で受け入れがたいことがいくつも起きました。と言ってもその問題は最近浮上したものではなく、私がただ無知だっただけのものもありますが…。作品として素晴らしいものではあるものの、差別的な思想や犯罪を犯した、またはそのような疑惑のある人物が作り上げた作品に対して、私たち観客・読者はどのように向き合っていくべきなのでしょうか。きっとこの問題に絶対的な答えはないのかもしれないけれど、一読者として考え続けなければならないと私は思っています。大好きな作家・映画監督は?と聞かれるとその名前をすぐに挙げていた二人について話をしていきます。
一人目は『ハリー・ポッター』シリーズの著者であるJ・K・ローリング氏について。一番最近だと「トランスジェンダー女性は女性ではない」という旨の、トランスジェンダーへの差別的発言を自身のTwitter上で行い、それ以前にも度々同じような差別的発言を行なっていることも相まってSNS上で批判の声が挙がっていることはファンなら知っている方も多いかもしれませんね。度重なる差別的発言にダニエル・ラドクリフなど『ハリー・ポッター 』シリーズの出演俳優らは批判の声を挙げている一方で、ファンの中には彼女の作品である『ハリー・ポッター』シリーズに対して興味深い声も挙がっているようです。「ハリーポッターはローリング氏の物ではなく私たちのものだ、同作で得た素晴らしい物・美しいものは本から生まれたのではなく、コミュニティから生まれたのだ」というファンの意見もあるようです。確かに作品の魅力や作品が読者に与えるものって作家の意図するところを離れて読者に伝わることもあるのかもしれません。面白い考え方だなと個人的には思いました。
二人目に話したいのがハリウッド映画監督のウディ・アレン氏について。彼は2014年に養女のディラン・ファローから性的虐待の告発を受けており、現在も裁判が続いています。この虐待疑惑は#METOOでも大きな話題になりましたよね。日本では彼の新作映画「レイニーデイインニューヨーク」は公開されたものの、アメリカでは完全にお蔵入り、さらにAmazonと契約していた彼の今後の映画製作は全て契約破棄になっているそうです。Amazonでは彼の過去作品はまだ見ることができますが、新作映画に関しては彼の疑惑のせいで全米公開は厳しいようで、作家と作品の強いコネクションを感じます。私は以前「ミッドナイト・イン・パリ」で短い論文を書いたことがあるくらい彼の作品が好きだっただけあって、この問題(問題自体は数十年続く長いものではありますが、私は無知で知ったのはここ数年のことでした)は衝撃的なものでした。
J・K・ローリングとウディ・アレン問題の内容こそ違えど、作家と作品への扱いが対象的な2人の作家について見ていきましたが、どちらかの扱いが絶対的に正しいということはないと私は思います。例えばいろいろな犯罪を犯した文豪の作品でも現代において名作として語り継がれているものもありますし、最近の日本の映画界の風潮だとドラッグなどで捕まった俳優が出ている映画やドラマは完全にお蔵入りしたりしますよね。どのような対応が正しいのかは、個人の主観によると思いますし、正解の対応はないのかもしれません。それでも、私たち作品の鑑賞者は作品と作家を全くの別物として捉えることができないと私は個人的に思っています。
作家の思想や倫理観は作家が意図せずとも作品の中に出てきてしまうものであり、差別的な思想を持ち、倫理観に欠ける作家の作品には、そのような表現が表面的には出ていなかったとしても、潜んでいる可能性があるという観点から、作家と作品を切り離して捉えることは難しいのではないでしょうか。これは空想上の例なので実際にこのようなことがあるかどうかはわからないですが、DVで問題になった映画監督がいたとしてその人が描く家庭や家の中の光景は少なからずその人の家庭観や夫婦観というものが滲み出てきてしまうのでは?と思います。
これは完全に私の主観なのでそうは思わない方もいることは百も承知ですが、作家自身の問題を知ってしまったらそれ以前の視点から純粋に作品を鑑賞することはできないと私は思います。ウディ・アレンの件でいうと、彼はロマンス映画を撮ることが多いですが、年齢の離れた二人のロマンスとしてそれまで純粋に鑑賞していても、今はそういった作品をこれまでのように純粋に楽しめなくなってしまいました。作品そのものは素敵な作品なのかもしれないけれど、彼が撮った作品なら…と認知バイアスがかかってしまうのです。
ハリー・ポッターシリーズも、ウディ・アレン監督作品も 私自身大ファンであり、特にJ・K・ローリングは幼少の頃から作品の大ファンでした。今もハリー・ポッターは大好きだし、私の人生のバイブルであることには変わりありません。だからこそ作家である彼女が差別的発言を度々していることを簡単に受け入れることは難しいことだと思います。ハリー・ポッターは私の人生だし、彼女の発言で作品が汚されるのが嫌だから。でもそれらの作家の抱える問題点に触れずに作品の娯楽的な部分だけを取り上げるのは違うと思い、今回このように作品と作家の関係性について考えてみました。作品と作家を完全に切り離すことができないからこそ、作家の人間性の問題点を受け止める、問題提起をするなど、それら作品を好きだと宣言することに対して私たち鑑賞者は責任を持つ必要があるような気がします。難しいトピックだと思うし、個人によって感じ方・考え方は様々だと思いますが、私は「今は」こう思う。

テーマとしてもブレブレなところもあると思いますが、一種の問題提起になればと思い、今回取り上げてみました。最後まで読んでいただきありがとうございました。