ねこ記録と飼い主雑記 22.03.01

ねこの病院は1日行ってきまして、混雑状況を確認して待ち人数2人なことを確認して、予約して速攻行ったんですが、着いてみたら10人待ちくらいになってて予約番号関係なしに1時間待ってしまいました。
15分くらいの間に何があったんだよ。
自分だけならいいんですが、ねこの事だから…嫌なのに、めっちゃ怒りながらも頑張って来てくれるからねこに申し訳なくて…すまないな。
体重がまた4.95キロになってしまって、好物のロイヤルカナンの消化器サポートを切らしていてカリカリを食べる量が減っているので、そのせいかと思いネットで買い足そうとしたら、メーカ入荷待ちになってて青くなりました。何とか在庫があるところを探し出しましたが、色々と大変です。

うちで哺乳類のペットを飼ったのは犬が初めてだったんですが、飼い始めたころは、これからは我が家でこの犬を守らなければならない、もし戦争や天災になって、食べるものもなくて飢えさせてしまったらと想像して怖くなっていました。結果、我が家の犬は幸いにも食べ物に困ることもなく、そこそこ幸せな犬生を送れたと思うのですが、実際に今そういう目にあっている、人間のみならずペットたちがいるかと思うと胸が痛いです。

戦争でなくとも、見えないところで苦しんでいる動物たちはたくさんいるのだと思います。爆撃で命を落とすのは野生動物や、虫たちや小動物もでしょう。爆撃を受けていなくても、この日本でも、田んぼや雑木が切り開かれ、生きる場所を奪われている生き物はたくさんいます。
愛らしい鳥たちが毎日の餌を得るためにどれほど大変な思いをしているか、高い木が次々切り倒される中で寝床の確保にどれだけ苦労しているか、けど彼らはその理不尽に文句すら言えない。昔の恐怖映画にあるような、生き物たちの人間への直接的な復讐など実際には起こったことがない。

それを思うと私は自分の幸福さを思い知り、彼らの為にできることを考えなければと思うし、甘えてなどいられないと気持ちが引き締まるのです。
そんなことを考え始めると生きているだけで彼らを踏みにじっているのと同じだと、生きているのすら嫌になったりもしますが、だからといって考えないようにするのではなく、日常を送りながらも常に心を寄せるのは大切なことだと思っています。
人間だからこそできることもあるのです。

話は変わりますが、私は子供がいないので、むしろ結婚すらしてないので、子供ができた知り合いが次々と「○○くんママ」「○○ちゃんパパ」と名乗り始めるのを見て、貴様たちのアイデンティティはどこへ行ったのだ、とか思ったものでしたが、自分もいつのまにかねこの飼い主と名乗っているのであまり人のことは言えないですね。ねこは私のことをママとかお姉ちゃんではなく「おまえ」呼びしてると思います。
ちなみに以前「にゃんトーク」というアプリを入れてねこの言うことを翻訳してみたら「パパ」と呼ばれていました。いろいろ違う。

そんな今日この頃でした。
本日(3月4日)消化器サポート届きました、もりもり食べるがいい。


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