叔父の話

と言っても私に書けることはそう多くありません。
私が小学生の時、一時期同居していただけの記憶しかないからです。
父方の叔父は二人居り、父が長男だったので次男の叔父と末っ子の叔父がいて、今回末っ子の叔父が亡くなったと連絡があったのです。

末っ子の叔父は、父とは母親が違います。
祖父が早くに最初の配偶者と死に別れたので再婚したのです。
父とは年も離れており、私はその叔父の事を「にいちゃん」と呼んでいました。明るくよく遊んでくれる叔父でしたが、お調子者でトラブルも多く父は色々と苦労したのだそうです。

私が子供のころに会った記憶しかないのは、実際そこで父が絶縁したからだそうです。商売に手を出しては失敗し、借金しに来ていたのだと、のちに母から聞きました。
私にとってはよく遊んでくれるにいちゃんだったので、大人になってからそれを聞いても複雑な思いでしたが、両親もそれを慮って口を閉ざしていたのだとは思います。

しかしもうひとりの叔父も実は音信不通でした。離婚してあちこちを転々としたそうなのですが、最後に私が姿を見たのも20年以上前だったと思います。なにがしかの用事でうちを訪ねてこられ、その時話しかけられて挨拶してくれたのですが、父が怒ってそれを遮りました。その叔父も借金の申し出に来ていたそうです。
時代はバブル崩壊後だったので、大変だったのだと思います。

父も亡くなった今になって、二人の叔父はどうしているのだろうと母と話すようになりました。聞けば、父は生前「決してふたりの行方を捜すな」と言っていたそうです。またトラブルに巻き込まれるのを恐れたのでしょう。そして、少なくとも私の知る限り、二人の叔父から連絡が来ることはありませんでした。父のところには連絡はあったのかもしれません、それは今となってはわかりません。
行方を探そうと方法を調べてみたことはありました。
住民票をたどれば現住所にたどり着くはずですが、それができるのはたしか直系の親族だけだったと記憶していました。次男の叔父には子供がいたので、子供はそれができるはずですが、末っ子の叔父も含め、傍系の私たちにはおそらくはそれは許されていないと。
しかし今改めて調べてみると、行方不明者の捜索には近親者はそれを行えたようなので、私たちにも調べられたのかもしれません。

そして先日、父の妹に当たる叔母、末っ子の叔父から見て姉に当たる叔母から、末っ子の叔父が亡くなったと連絡があったと知らされました。
叔父は生活保護を受けていたそうで、結婚もしなかったし子供もいなかったのでしょう。叔母のところに連絡がいったということは二番目の叔父ももう亡くなっていると思われました。

私の記憶にあるのは、20代の若い叔父の、父と同じ天然パーマの髪が肩くらいまであって、八重歯が人懐こい笑顔だけです。
血縁ある人が遠い地で一人死んでいったという事実に、何かしてあげられることもあったのではという思いもありますが、叔父は叔父で自分の人生を生き抜いたのだと思います。
誰も知ることのない一人の人の物語がひっそりと幕を閉じました。
世の中にはそんな物語はきっとたくさんあって、でもそれも、一人の人の生きた勲章だと思うのです。

この世の長い旅路を歩きぬいた、「にいちゃん」。お疲れさまでした。
その勲章を胸に、どうかゆっくりと休んでください。

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