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犬の一生

我が家ではインコや金魚なども飼いましたが、最初に飼った哺乳類は犬になります。情緒不安定だった兄弟のためにと、地元の新聞広告の犬猫を差し上げますという欄を見て遠方まで子犬を貰いに行きました。

貰ってきたのは柴っぽい雑種。顔は柴っぽいんですが背中が黒く鳴き声がとにかくうるさい。大きくなった時も柴の雑種にしてはやけに耳が大きかったので、シェパードの血も入っているのではと考えられました。あとなぜか下の犬歯が生まれつきなかったです。(9/19修正、上の犬歯になってました)(大人になっても生えてこなかった)
もらいに行った兄弟曰く、ほんとはもう少し大きい白い犬がいてそっちのほうがかわいかったけど、かわいそうだったんでこっちにしたとのこと。向こうのご家族もまさかそっちが売れるとは思わず、動揺が走っていたそうです。

そうとはいえ柴系の子犬ならではのおっさんみたいな黒い口周りや残念な貧相な尻尾もそれなりにかわいらしく、我が家では歓迎されました。
しかしはじめての哺乳類、二か月くらいの子犬の扱い方もよく分かっていなかった我が家ではついつい甘やかし、吠える噛むのわがまま犬に育て上げてしまいました。とはいえ工場をやってた我が家の看板犬となり、むやみやたらと吠えたり人を嚙むような事はなく、皆に愛想をふりまくアイドル的存在として愛されました。

昔ならではのゆるいエピソードとして、この子犬がうちに来てまもなく、散歩をしてて自転車に後ろ足を轢かれ骨折したことがありました。
私はその日たまたま友達の家に泊まりに行ってて、帰ってきたら足に包帯を巻いていたのですが、後ろ足一本上げて器用に走り回り階段も難なく上り下りしていました。
数日後病院に行くと、先生が何やら動揺しています。
聞くと、包帯を巻く足を間違えたのだそうです。要は大丈夫な方に処置をしてしまってたと。
でもそれでも特に不自由なく過ごしていたので、それはそれで良かったんじゃないでしょうか。今だったら大騒ぎされてたかもですが。

犬はさみしかったり要求があったらまあ吠えて吠えて、二階のベランダに出したら向かいの家の向こう側の道路を走る自転車にまで吠えて、田んぼだらけだったご近所周辺に響き渡るほどでした。
しかし犬は、早く走るものには吠えるのですが、ゆっくり移動するものは吠えずにじっとみつめます。杖をついたおじいさんとか、コンビニの袋をぶら下げたサラリーマンなど、散歩の途中でも立ち止まってじっと動きを追って動かないので、それはそれで困りました。

うちはどの動物でも皆そうだったのですが、母親には絶対服従でした。
動物なりに力関係を理解していたのだろうとも思いますが、母親は野生の勘で生きているところがあったので、動物にシンパシーを感じさせていたのかもしれません。母は実際なんで分かるんだという動物の気持ちをやけに理解してもいました。二番目のねこがシートでならトイレをするかもと気が付いたのは実は母でした。
しかし、そんな母も、春先に犬の後ろ足のほうの冬毛を何も言わないのをいい事に調子に乗って抜いていて、ふと頭のほうを見たら牙を出して唸っていたそうです。これが私たちなら容赦なく噛まれていたと思うので、そこは母の面目躍如でした。

犬は、特に病気などもせず過ごしましたが、年老いて認知症の症状が出るようになり、屋内でサークルの中で過ごすようになっていました。
15歳を少し過ぎた12月の寒い日、積雪で停電した朝、寝床でどたんばたんと転がっています。何遊んでるんだろうと思ってたら、どうも本気で立てなくなっていたようでした。
その日の仕事を休んで病院に行ってみていただくと、脳の血流が悪くなった事による下半身まひだということでした。寒い朝だったのでそれも悪かったのだと思います。

その日から、犬の介護生活が始まりました。
脳の血流は認知症にも影響しましたが、犬が変わったようになってむしろおだやかになり、それまで敬遠していた姪っ子たちにもかわいがってもらえるようになりました。認知症なので夜中にずっと鳴いて添い寝したり、そういう苦労はありましたが、年を取って穏やかになって周囲の人に愛されるようになるのは、人間も一緒で幸福な事でもあると思えます。
下半身は薬のおかげで多少良くなり、人間が支えたらなんとか歩けたので、バスタオルをおなかに回して散歩に行ったりもしました。散歩が最後まで本当に大好きで、おしっこも自力でしていましたし、ご飯もよく食べてくれました。

介護生活が丸一年経つ頃、犬の体重は全盛期の10キロから6.5キロにまで落ちていました。最後は食事ものどを通らず、せめてと与えたヤギミルクを飲んでくれた、私のその年最後の出勤日、犬は亡くなりました。
仕事の休み時間に家族から犬が死んだことを告げるメールが届き、職場で号泣しました。ド年末だったので、その時点で犬を火葬してくれるペットの葬儀屋を探し、犬を焼いている間におせちを取りに行くという何とも言えない思い出を残し、犬は骨となって家に帰ってきました。

大きな病気もせず、介護を通じて別れへの覚悟をする時間をくれて、16歳と2ケ月で家族に見守られながらの大往生を迎えた、良い犬生だったと思います。
こんな我が家のかわいいかわいいわんこの一生でした。
お付き合いありがとうございました。


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