母方の祖母の話

明治42年生まれの母方の祖母なんですが、14歳のころから大阪市近郊で働いて、おぼっちゃまで遊び人だった祖父と結婚してからは商売に精を出し家を盛り立てた働き者だったそうです。
ちょっと前のNHKの朝ドラの「おちょやん」の時代に近く、祖母もちょうどあんな感じの少女時代を過ごしたんではないかと思います。
祖母のそもそもの出身は、奈良県の現在は桜井市になっている三輪というところだそうで、不勉強というか非常識というかお恥ずかしいんですが私はあまり詳しくなく、日本最古といわれる大神神社のある三輪だった事もその時初めて知りました。

父親が亡くなり相続があった時、両親の戸籍謄本と改正原戸籍を遡れるだけ遡ったんですが、祖母のルーツが奈良県であることがその時初めて分かりました。祖母は結婚前は大阪市の現在の西淀川あたりに住んでいましたが、奈良出身であることは母親も知らなかったとの事。
そして、そこに至るまでの事も謎が多いです。

祖母は結婚も含めると3回姓を変えていることになります。
最初の姓は「中山」でした。奈良県のあの辺で中山というとピンと来る方も居られるかもしれませんが、天理教の教祖である「中山みき」と同じです。むしろあの辺では多い名字で、ルーツは平安時代の公家中山何某が京都の南東に移住して、そこから広がったということになっているようです。
時期的な物もあったのか祖母は天理教徒で、結婚してからも天理教を信仰してました。神棚?に向かってデンデン太鼓をたたいて何やら唱えていた姿を覚えていますが、考えてみたら大阪北部ではけっこう珍しかったかもしれません。
祖母は明治生まれにしては珍しいモダンな名前で「愛子」といいました。
先ほどの中山のルーツの公家の中山家は代々名前に「愛」の一文字を使っていることから身内が関係あるのでは、と騒いでいましたが、改正原戸籍によると当時の中山家で愛がつくのは祖母一人で、男子では誰一人名付けられていないのでたまたまだったかと。それでもほかの兄弟はそんなモダンな名前つけられていないので、ちょっと異色ではあるかと思います。

そして祖母は14歳で養女に出されて二回目の苗字変更をすることになるのですが、そこのつながりも不思議なのです。
養子先の家の名前は伏せますが、そこの改正原戸籍も取り寄せるとそもそもその家はもともと東京で、大正終わりごろに中山家の近所に東京からわざわざ引っ越してきていたようなのです。
苗字は徳川の旗本家の一つである家の一部漢字を変えたものです。
元の住所は現在でいう23区内の一等地なのでまさかと思って調べましたがよくわからずじまいでした。
そしてさらに謎なんですが、その家が奈良県に越してきて間もなくさらに大阪に引っ越します。祖母の叔母に当たる人物がその家に嫁いでおり、祖母は叔母の養子という形で引き取られたようです。
祖母の叔母が嫁ぐ前から中山家とその家は何かしらのつながりがあったと思われますが、それもよくわからないままです。

中山家のその後はよくわからないのですが祖母の実母の足取りはわかって、昭和34年に天王寺で実の息子とともに住んでいた家で亡くなったようです。実の息子というと祖母の実の兄でもあったわけですが、祖母はそれを知っていたのかなあと思いますし、おそらく長男であった息子とともに大阪に来たことを思うと奈良県の中山家はどうなったのか気になります。
母曰く、祖母には御堂筋線に乗って生駒のほうに遊びに連れて行ってもらった記憶があるそうです。生駒は奈良県の方に抜ける路線上ですので、祖母は土地勘があったのかもしれませんし、若草山に行った記憶もあるとのことですので奈良県にも帰っていたようです。
そして改正原戸籍をよく見ると、先の祖母の養子先の家が大阪に来るのと同じタイミングで祖母の実母も大阪に来ていたようなのです。
なので祖母が実母が天王寺にいるのは知っててもおかしくなく、行くのは別段むつかしい事でもなく、会いに行こうと思えば行けたはずですが、親子の事情を考えると連絡を取っていたかどうかも怪しく、ごく近所にいながらすれ違っていたのだろうと思います。

祖母は平成に入って数年で亡くなりました。
心臓が悪くペースメーカーを入れる手術をして、のち入退院を繰り返して力尽きましたが、元気な時は大好きな相撲を見ながら大きな力士に「負けぇ!負けぇ!」と叫んでいた姿が思い出されます。いわゆる判官びいきです。
母方は、思えば女が強い家系でした。
祖父の母親も、配偶者が亡くなった後息子を連れて分家して、商売を始めて家を大きくし、働き者だった祖母はそんな曾祖母に見初められ祖父と結婚したのだそうです。一方祖父は内縁の奥さんとその方との間にお子さんまでいて(籍が入っていないので戸籍には載っていませんが過去帳には記録がある模様)、母親もその記憶があるということで、曾祖父も祖父を「認知」したのちに曾祖母と結婚しているので、母方の男性陣はいろいろ残念です。
母は10人兄弟でそのうち男は6人でしたが、みんな見事にガンで亡くなりました。
女兄弟はほぼ例外なく糖尿病&脳梗塞発症するも皆長生きです。
男兄弟は性格もみな優しく高圧的なタイプはおらず、逆に優しすぎて精神を病んだ人もいました。良くも悪くも優男の家系なのかなと。

余談ですが、祖母はよくなんばに歌舞伎を見に行っていたそうですが、行くたびに必ず迷ってそのたび怒ってたそうです。
私もそうなので血は争えないなと。なんばは迷宮。
私の顔は母親似ですが、祖母を知る人からは祖母に似てるといわれます。
離れて暮らしていましたが、私が大阪の学校に通ってた時はたまに泊まらせてもらったりもしました。
現在改正原戸籍から判明した様々な謎を思い、祖母ともっといろいろな話ができたらよかったなと今更ですが思いつつ、母方のたくましい血を受け継いでいるのだから私も頑張ろうと書きながら思いました。


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