世間は意外と優しかった 23.02.19

ちなみに2月18日は私がイエス・キリストの十字架を受け入れた日です。
洗礼を受けたのとは別で、自分の心の中の大切な日です。

それはそうと、先週はまだ起こっていない様々な事象に対して疑心暗鬼になっておりましたが、ねこはあまり芳しくないものの、仕事は今週連休が取れたし、自治会長もほかの方に決まったというお知らせがありました。
自分が思うほど世間は残酷ではなかったと、ちょっと思いました。

ちょっと書きましたがねこはやはり芳しくありません。
天然素材のカリカリを買ってみましたが、少しは食べるものの相変わらず自分からは口をつけません。
昨日今日とずっと寝ています。
動物病院では、とりあえずレーザーを当ててみましょうという提案。
ほかにできることがもうあまりないのだと。

私も自分ができることを考えましたが、やはり祈ることだと思いました。

おととしの9月にねこのおなかがパンパンになったとき、腹水がたまったのか、もう末期なのかとと泣きながら祈り、検索して見つけたサイトでした。
いろいろと考えさせられ、クリスチャンとしてどう行動すべきか考えました。
病院はお金がかかるけど、出来る事をできるだけやってあげるのがねこに対しての愛情だという気持ちもあり、でもそれは飼い主の自己満足なのではないかという思いもあり。
動物病院は仕事でやっておられるから、最後まで少しでも良くなる提案をしてくださる。でも、本当は家で緩やかに静かに衰えてゆくねこと、寄り添ってあげられる方がいいのではないかと思う。
そういう意味でも今週連休が取れたのは良かったです。
もちろん病院には通い続けようと思うけど、それ以上に、ねこに手を置き祈る事が大事なのだと思いました。
動き回るよりも、ねこをいたわり愛情をかけ、神の前に静まろうと。
今は諦めるとか覚悟するとかではなく、癒されるという確信があります。
目に見えるところは無理だと思えるけど、神はここから奇跡を起こせるのだと。

私の人生の大変な時を支えてくれて、寄り添ってくれたねこです。
仕事や日常のいろいろで心を乱されますが、今の私が大切にすべきなのはねこです。そこを忘れないように今週も過ごしたいと思います。


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