縫製工場

関係あるかどうかよくわからない記事ですが一応貼っておきます。

今回のこの記事は2020年の暮れにブログで書いたものです。
いま改めて思うことなので、こちらにも残しておきます。


私の父は紳士服の職人で、結婚したばかりの頃は大阪でオーダーを取って生計を立てていたそうです。それが難しくなって、繊維産業のさかんな岐阜に近い滋賀に引っ越してきて、婦人服の大量生産の町工場を始めたのが70年代の終わりでした。

景気の良さで順調な経営でしたが、バブル崩壊でそれは一気に悪化しました。難しく単価の低い、ロットの少ない仕事が増え、納品しても工賃がもらえないこともあり、一気に借金まみれになりました。
工場をたたみ、ミシンも二束三文で売りに出し、自営で縫製をすることはほぼなくなりました。

現在では国内での縫製工場というものはかなり少ないだろうし、昔のような体制はもう無理だとも思っていますが、本当にそれでよいのだろうかとも思います。
現在市場に出回っている安価な洋服も外国製が多いです。
しかし、作っている土地が違うだけで、やっていることはたぶん昔の日本と同じです。便利なミシンも出てきているとはいえ、おそらくは昔ながらの動力ミシンを使っている事と思います。むしろ。うちにあった二束三文で買いたたかれたミシンが今も東南アジアあたりで活躍していることと思います。

洋服づくりは大事な技術だと思っています。
そう昔ではないかつての日本では、小さな縫製工場に、主婦の方が学生の頃学んだ洋裁の技術を生かして働きに来られ、技術を磨いてゆかれました。
ミシンは単純に直線縫いしかできない人もいたけれど、裁断されたパーツを縫い合わせてゆくだけでも自然と洋服を作る技術は身についてゆきました。

ノウハウさえあれば外国に任せればよい、そういう方も多いかもしれませんが、実際に手に技術を持った人がいなくなると、ノウハウさえ維持するのが難しく、日本は気が付いたら自国で何も作れない国になっているかもしれません。
今実際そうなりつつあると感じます。

一部の職人を育てれば良いという方もいるでしょう。
でも私は、専門職でない普通の主婦の方が平均的に縫製の技術を持っておられるという、そのすそ野の広さが日本の物づくりの強みであったと感じるのです。
私は、そのために在野の縫製工場が役立ってきたと思っています。

もちろん、昔のような形はもう無理だし、かつての大量生産ももう時代に合わないでしょう。
今だからこそできる形を、小さな形の工場を、私はもう一度考えてゆきたいと思っています。
国内でのモノづくりには、必ず意味があるのです。

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