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ひりでた大粒のクソ

twitterってどうでもいいことを口にできる場所だけど
同時にかしこまって使う奴も存在するのよね。

それのせいかは知らないけれど、(←便利な言葉)
140字ギリギリの愚痴とか、改めて見返してみると
””自分って浮いてる変な奴だな””って思ったりするんです。
そんなこと気にせずにツイートすればいいじゃん!みたいなのもわかるし
そういう自分がいるのも理解してるんだけど。
でもね、どんな言葉にも♡がついて格付けされるのは、なんだか息苦しい。

ツイッターは自由の場に見えて、一種の息苦しさがあるの。
うんち!とかおっぱい!とかなんとなく許容できるし、
なんなら自分のいいね欄に入れてやってもいい。でもなんか違うじゃん?
一見発散ツイートに見えるそれは、丁寧丁寧にコーティングされてるの。
皆かわいいコロコロうんちを出すけどさ、
ホントはドロドロの下痢を腹の底に溜めていないのかい?って。
そういうツイートを見てるとさ、自分まで縛られてるような気がして
どうにも居たたまれなくなっちゃうんだよ。


形を整えたクソを量産するくらいならさ、140字とは言わず、
ここで大粒のクソを出そうと思ったわけ。


あ、リンクはいつでも歓迎です。

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