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成果のために対話するのではなく、過程を繰り返すために対話する

そういえば、ここ最近自分の心の中の違和感を感じやすくなった。誰かが放った言葉や出くわした出来事、目にした風景の中で、「あれ、なんか変だな」っていう小さいものから「もう!イライラする!!!」みたいな爆発系まで笑

前に尊敬する方が「感性豊かな子に育てたいと大人はよく言うけど、本当に感性が豊かになるということは繊細な部分まで感じとることでもあるということ」とおっしゃってたけど、その通りだと思う。言い換えれば、自分の中での違和感が葛藤する状態をつくることでもある。

今の私はこの違和感を自分の勘所に気付きやすくなってきた=自分が何を感じるかを内省する癖がついてきたんだと、自己成長として捉えている。

自分と対話する

私は、これまでも内省する癖はあったのだけど、その多くは「なんで私って〜できないんだろう?」とか「なんで他の人と比べてこうなんだろう?」というもので、その度に自分に出来ない理由を探してたように思う。それは対話というより、ほぼひとりごと。

それが、今の仕事をするようになり、本当に多様な人たちと話すようのなり、更には青学でワークショップデザインを学び、自分の生活圏では出会えなかった人たちと出会うことで、少しずつ自分を解放することができるようになった。
そして今、例え「なんでこんな風にしちゃうんだろう?」と思考しても「なるほど、そこに私の感性があるのか!だとしたらこれをこう考えると、どう思う?」
とかいう自己対話へと変わってきたように思う。(もちろん、自己否定しまくる日もあります。笑)

ちなみに自己対話の一部始終は、ノートに書く派。(campausかRollbahn)
文字に書くことで視覚化できることと、なんとなく心地いいから好き。

身近な人と対話すること

ここ最近でできるようになったことと言えば、身近な人と対話すること。家族や職場で、この考えについてどう思う?という問いを投げかけて、私はこう思う。共感する、共感しない。とそれぞれの意見を重ね合わせることが多くなってきた。

きっかけは昨年からのこの新型コロナウイルスの影響によるものだと思う。
家族と過ごす時間が増えたことで、衝突が増えた。職場はこれからの活動を見据えて、業務のことだけでなく、それぞれのアイデンティティを共有する必要が出てきた。

職場での対話は、もともとの企業文化でもあるので、いつかまた。

私が注目したいのは、家族との対話。
家族と対話することは、これまで避けてきたことでもあったけれど、どうしても避けては通れず、いいきっかけだと思って思い切って「話そう」と持ちかけたことがきっかけ。
(コミュニティメディアNEXTWEEKENDが提案してくださったFAMILY Noteのプロジェクトメンバーをやらせてもらうことになったことも大きなきっかけ)
●この家族にとって大切にしたいこと
●それぞれの嬉しい時間
●衝突したときに何が嫌だったか、どう思ったか
を出来るだけこまめに話すようになった。
「時間が解決してるから〜」なんて前は思ってたけど、ずっと一緒にいるからこそ時間じゃなく自分で解決しなきゃならないこともある。
(↓我が家の家族会議で定番にしたい#コーヒーの塩ビスケット)

この機会を通して、1番感じることは、この対話の時間に出てきた「結果」自体ではなく、その「過程」を積み重ねることの方が意味があるということ。

例えば極端な話、家族に対して「こうされたのが嫌だった」という話を切り口に「〇〇しないようにする」とか「〇〇をする」というやることを決めることより、「こういうことされるのが嫌だったんだ」→「それはどういう考え方を大切にしてるからなの?」ということを共有できた方が、相手を知れると思う。

ただ、相手のことを知るのは一朝一夕には出来ないのだから、この対話の過程を繰り返すこと、積み重ねることを大切にしたい。

例え対話が理想的な終わり方で終わらなくても、積み重ねることに意味があると信じたいし、現に私は家族が大切にしている考え方を少しずつ知ることが出来て、じんわり嬉しいし、愛おしさが増していく。

これが今の私にとって大切なこと

#自分にとって大切なこと

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