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エモいがキモい

おばさんになったら、なるべく若者たちの流行語は使わないようにしよう、と思っていた。

でも若い頃から長い間使い過ぎて身についてしまった言葉はためらわず使用するだろう。例えば「キモい」。いつから使用しているか思い出せないけれど、私の場合は「ダサい」より「キモい」の使用頻度が高かった。間違いなくこれからもお世話になる言葉だ。

最近よく見かける言葉で似た語感の「エモい」があるが、これを初めて見たとき、
「なにそれ、キモ」
と思ったのが第一印象。
エモーショナルな、心が揺り動かされる事象に接したときに使うそうだが、簡単に言葉で表せないもどかしさを感じるあの揺れを、一瞬でもあり永遠でもあるその時間を止めておきたくなるあの衝動を、たった一言、3音で表明する手軽さが気持ち悪い。

そんな3音ではなく、あなたの心を揺らした事象と、なぜ、どのように、というあなたの個人的な話を聞かせてくれ、と思う。

エモいがキモくて、キモいがキモくないのは矛盾してるかもしれない。
でも事実、キモいのキモさは3音だけで人と共有共感して盛り上がれるけれど、エモいのエモさは、人と共有共感できるほどの言語感覚が私にはないのだ。

エモい以上に表現し得る言葉が背後にたくさんあるならば、その言葉の物語を、詩を、私は知りたいし聞きたい。

そういえば簡単に「泣ける」と感動を表現する人も苦手だった。まず、本当に泣いてもいないのに使うからだ。感動体質であることを表明されても、「で?」と思うだけ。本当に泣いたのなら、なぜと自身に問うてその解を導くまでの道筋を見せてくれたらいいのに。

本当に泣けることや、魂がふるえるような事象には、そうそう出合えるものではない。
また、そう簡単に言葉で表せるものでもない。だから物語や詩は、必要とされている。

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