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【小説】30代ワーママが自分業でマネタイズを目指すまで

はじめに

「あの光」という小説を読み、承認欲求について興味を持ちました。
小説の主人公は環境が特殊でしたが、もっと身近なところにも承認欲求に囚われる人はいるのではないか。そう思って自分でも小説を書いてみたくなりました。

内容はフィクションです。特定のモデルはいません。
今回は発信に興味を持ち始める前のエピソードです。
拙い文章ですが、お読みいただけたら嬉しいです。

育休中の苦しみと、ある兆し


今日も一日、何もできなかった。
ようやく寝かしつけ終わった大智の寝顔を見ながら、莉子は無意識にため息をついた。

別に、何も不幸じゃない。
住む家はあるし、夫も子供もいる。夫は特に稼ぎがいい訳じゃないが真面目な会社員で、息子もすこぶる健康だとこの間の一歳検診で太鼓判をおされた。
仕事は育休中で、この4月から元の部署に戻れる予定だ。保育園は、希望していた近くの園ではないけど、無事に認可保育園に通えることになっている。

そりゃ上を見たらキリがない。
元々実家が裕福だとか、凄い才能があるとか、そういうスペシャルカードを持っている人たちは存在するし、羨ましくないと言ったら嘘になる。
でもほとんどの人は平凡な人生を生きているし、その平凡な人生すら手に入らない人もいるのだから、今の自分は十分に恵まれているのだ。
それはわかっている。わかっているのに、ふと胸の奥にモヤモヤとした黒い渦が広がっていく。

小さく寝返りを打った大智を見つめる。
口元には寝る前に飲ませた牛乳の後がついている。拭こうとしたら凄い勢いで嫌がったので汚れたままになってしまった。最近、そういうことがよくある。
自我が出てきたんだね、と夫は笑うが、莉子はその笑顔をうまく受け止められない。子供と二人っきりの空間で、1日に何度も何度も夫が言うところの自我とやらと対峙し、やろうと思っていたことが何も進まないどころかむしろ後退しているように感じるこの気持ちは、きっと当人にならないとわからないのだろう。

スマホで時間を確認すると、22時を過ぎていた。
夫の涼太は今日は会社の新年会だと言っていた。できるだけ一次会で帰るから、そしたら寝かしつけは俺が代わるねと出掛ける前の発言を思い出す。早く帰れるなんて最初から期待していなかったが、予想通りの結果になったことに小さく失望し、そして失望している自分に気付いて更に絶望する。同じようなやり取りを、子供が産まれてから一体何回繰り返しただろう。
きっと夜中に帰ってきた亮太は朝になって言い訳をするに違いない。ごめんごめん、後輩がもう一軒行こうってきかなくてさ、ほら、そういうとこでガス抜きさせてやるのも先輩としての務めだろ?俺だってほんとは早く帰りたいんだけどさ、課長からも次のチームリーダーとして期待してるから後輩フォローしてくれって言われてて。そういうこと考えると、やっぱ最後まで付き合ってやんなきゃなって、ほんとごめん。
謝罪と言うより半ば自慢みたいな言い訳を聞かされて、相手がどう言う気分になるのか想像できないのだろうか。

涼太は会社の同期だった。
入社してしばらく一緒に新入社員研修を受け、違う部署に配属されたが、その後も定期的に同期みんなで飲みに行っていた。
当時莉子はまだ大学時代の彼氏と続いていて、でも先に社会人になった莉子と院に進んだ彼氏とは生活リズムが合わず、すれ違うことが多かった。そんな彼氏の愚痴を涼太は嫌な顔せず聞いてくれて、しかも彼氏の悪口は決して言わないのに上手く莉子の嫌な気持ちを解消してくれて、気付いたら涼太といる時間の方が増えていた。そして、元の彼氏とは別れた。

涼太はいるだけでその場が和むが、別に仕事ができるタイプではない。初年度の評価は莉子の方が高かったし、先に昇格したのも莉子の方だ。そんな莉子を涼太は素直に褒めてくれ、変な男のプライドで張り合うこともなかった。そこがいいと思った。莉子は仕事を辞める気はなかったし、共働きならガツガツ出世競争に乗りたがる男より女性の活躍を嫌がらずに家事育児に協力的な男の方がずっといい。そう思って、結婚した。
それなのに。

余計なことを考えまいと目を瞑る。
眠れる時に眠らないと。大智はもう夜泣きはほとんどないが、それでも夜中に起こされることはあるし、驚くほど朝早く目覚めることもある。涼太が帰ってきたタイミングで起きてしまうかもしれない。眠らなきゃ。眠らなきゃ。そう思えば思うほど睡魔は降りてこない。昼間はあんなに眠くてたまらなかったのに。

涼太は今頃何をしているんだろう。上手くもないカラオケを自分から誘って、粉雪なんか歌っているかもしれない。別にカラオケになんて行きたくないけど、カラオケに行ける自由は羨ましい。
いや、違う。カラオケなんかどうでもいい。カラオケに行きたいから大智を見ててと言えばきっと涼太は快く送り出してくれる。なんならそのまま友達とご飯食べてくればくらいの事は言いそうだ。
でも、涼太に預けてカラオケに行ったって、罪悪感で心からは楽しめない。それがつらい。だから子供と離れて後ろめたくない気持ちで過ごせる、そのこと自体が羨ましいのだ。

一度思考が溢れ出ると、とめどもない。
子供を体内で育てなくていいこと、出産しなくていいこと、母乳をあげなくていいこと、キャリアを中断してしなくていいこと、全部が羨ましくて仕方がなくなる。
体内で生命を育んでいると感じた時、確かに愛おしさがあったのに。我が子と臍の緒で繋がれていることを、満たされた気持ちで受け止めていたのに。健康な我が子をこの手に抱くことが出来て。復職に協力的で誠実な夫がいて。自分は幸せだと感じていた時間は確かに存在する筈なのに。

つらい。
つらいと感じてしまう事そのものが、本当につらい。なんで、心から幸せだと思えないんだろう。今の恵まれているはずの環境を、幸せだと受け止められないんだろう。わたしはわがままなんだろうか。つらいと感じるのは傲慢なんだろうか。
毎日毎日、同じことの繰り返し。誰も褒めてくれないし、何もかも思ったように進まない。これで仕事が始まったら、いったいどうなるのか予想もつかない。
睡眠不足の頭の中でぐるぐると思考がまわる。これ以上考えてもマイナスになる一方だとわかっているのに、考えることがやめられない。

莉子は寝ることを放棄して、枕元のスマホを手に取り、いつもの検索を始める。
育児、大変。育児、つらい。復職、心配。
表示されるたくさんのブログや情報サイトのリンクは殆どが青から紫に変わっていて、これ以上読むべきものはないことを教えてくれる。読んでも読んでも答えはないのに、それでもどこかに自分が求めている情報があるのではと思う。

ブラウザを閉じてインスタを開くと、相互フォローしてる月齢の近いママさんが、ストーリーを上げていた。音声配信をしているインフルエンサーのオフ会に行ってきたらしく、華やかな雰囲気が伝わってくる。都内のオシャレなカフェ。くるくると高く盛り付けられたパスタと、ミニサラダにアイスコーヒー。カフェインはもう解禁したのだろうか。この前はまだ授乳を続けていると言っていた。実家は遠方らしいし子供はどうしたのかなと思っていたら、どうやら子連れで参加したようだ。まだ大人用のものは食べられない筈だが、食事はどうしたんだろう。レトルトの離乳食を食べさせたのか。写真から色々なことを推測していると、最後に集合写真が載っていた。顔は隠されていたが、真ん中に座っているのが例のインフルエンサーだろう。
莉子はこのインフルエンサーについて存在は知っていたが、これまであまり見ないようにしていた。同じ子供を持つ母親として、能力の違いを見せつけられているようで苦しくなるからだ。だが、ストーリの最後に書かれていた言葉に思わず吸い寄せられた。

「正直、忙しい毎日でこれ以上どうすればいいのって思ってました。でも無理してオフ会に参加して本当に良かった。毎日1パーセントでもいいから、人生をよくすればいい。その言葉に救われた気がします。明日から頑張ろう!」

言葉が響くかどうかはタイミングが大きく影響する。今夜の莉子には、その言葉が不意に染み込んできたのだ。俄然興味が湧き、リンク先のブログを開く。

改めて文章を読むと、そのインフルエンサーは莉子が思っていた人物とは少し印象が違っていた。ワーキングマザーであること、独立して自身で事業を始めたことは確かだが、今の立場になるまでには紆余曲折があったらしい。想像よりもキラキラした内容ではなく、文章も穏やかだ。
ブログの文章は、こう結ばれていた。

「私には、皆さんの人生を劇的に変えることはできません。ですが、毎日ほんのわずか、人生を1%よくするコツをお伝えすることはできます。毎日1%の改善を続けると、1年で37倍にもなることをご存知でしょうか。信じられない方は、是非計算してみて下さい。そして、少しでも興味を持って下さったなら、是非下記のリンクからコミュニティにご入会ください。今なら月会費は初月半額です。一緒に人生をよくしていきましょう」


莉子は何かに取り憑かれたかのように、入会情報を記入し始めた。
その目は先ほどとは打って変わったように、光を取り戻していた。

#創作大賞2024

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