きっかけは移動と発熱

文章を書くことを生業としはじめてから、すっかり自分の言葉を書き綴ることがなくなった。
これまでの4年間、自分や家族にとってそれなりに大きな転機があったし、子どもたちにいたっては、娘は少女から思春期女子へ、息子は幼児から少年へと、いつの間にか成長していた。

そんな貴重な日々なのに、なにも記録していないとは、なんて浅はかだったのだろうと、今更ながら後悔している。
だからというわけではないが、昨晩、高熱にうなされている息子を看病しながら、明日からできるだけ毎日、日々のことを綴ろうと決意した。

今日は2017年7月26日で、2017年ももう半分以上過ぎてしまったのだということに、愕然としてしまうのだけれど、先日から夏休みがはじまった子どもたちは、光陰矢の如しなんて言葉とは一切無関係で、“今、ここ”を生きている。息子にいたっては、今、この瞬間だけに命をかけており、限りになくマインドフルネスだと感動を覚える。

一方、中学生になってはじめての夏休みを迎える娘は、充実した毎日を過ごしたいと、せっせとスケジュールを埋め、まさに青春を満喫している。今の彼女にとって、すべての刺激は外の世界にあって、意識は外へ外へと向かっている。そして時折、疲れると私たちのもとに戻ってくる、そんな微妙なバランスで生きている娘を見ていると眩しい。そこにはとうの昔に失われてしまったであろう、十代の頃の感情が見え隠れするから。

7月19日。逗子に移住して約1年9ヶ月暮らした家から、新しい家へと引っ越した。必然というべき出合いの末の新居。遥か遠い昔から、その土地を守ってきた由緒正しきお寺の近くの住まいということで、少なからず土地のエネルギーを感じる。
越してきて早々、息子と私は発熱しダウン。私は丸二日間寝込み、息子はダラダラと微熱と高熱を繰り返していた。これもデトックスなのか。
夫曰く、すべてはモノがあり過ぎることに原因があるということだが、ほんとうにその通りだと思う。