強迫観念と祈り


強迫観念に苛まれる日々を過ごしています。

信じられるもの、
今のわたしの世界にはほとんどない。
大丈夫かどうかが分からないものごとに
立ち向かうことはとても恐くて
それは例えば人の言動や、目の前の食べ物や、場所、自分自身。
目につくもの全てが、大丈夫なのか分からないから
(その 大丈夫なの? って不安が起こること自体 自分でもなんなのか分からない)

何をするにしても全て周りに保証を求めてしまう。
自分自身を1番信じられないから、周りの意見を仰ぐしか 信じるすべがない。

この場所は綺麗なのか?
この食べ物は食べていいのか?
わたしは汚いんじゃないか、
わたしは全て間違えているかも
あの人はどう思ってる?
わたしが今行動することで、この人の機嫌を損ねるかも 不愉快にさせるかも
わたしは何をすればいいの?

頭は常にありとあらゆる不安に埋め尽くされている。
砂漠の砂を一生懸命ほうきではいてる気分。
おわりがない。先が見えない。
それで余計に不安になって、苛立って、喚いて、

何がしたいのか分からなくて

強迫観念も確認行為も祈りに近いのかもしれない。

大丈夫でありたい、
普通になりたい、
自分を認めたい、
みんなと同じになりたい、

そう祈って、必死に祈って、
何度も何度も確認したり、何度も何度も手を洗ったり、
それでもまだ足りなくて、周りに保証を求めてしまって、また上手くいかなくて。

でも、わたしはただ、毎日必死に祈ってるだけ。
大丈夫って保証がほしいだけ。

今日も自分自身に、祈っている。

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