ナカヤマフェスタ育成シナリオの元ネタ考察

この記事はウマ娘から競馬を知り、ナカヤマフェスタのファンになった新人トレーナーが書いています。記事は書籍・ネット記事・オーナーへのインタビューを基にしていますが、内容や用語に誤りがあった場合はご容赦ください。

こんにちは、Rickと申します。
以前ナカヤマフェスタ実装前にこのような記事を書いた者です。まずはこちらを読んでいただければと思います。

今回は新シナリオL'Arc編にナカヤマフェスタが登場するということで、ナカヤマフェスタの育成シナリオについて史実を元に解説しようと思い記事を書くことにしました。
ゲーム中の進行に合わせて解説するので、長くなりますがお付き合いいただければ幸いです。
なお育成シナリオほぼ全編に渡ってネタバレを含みますので、未所持の方はご注意ください。


ジュニア期

ナカヤマフェスタ登場!

ナカヤマフェスタのシナリオで重要人物となる「先生」ですが、モデルは初代オーナーの和泉信子さんです。
信子さんは先生と同様に大病を患われた方であり、ナカヤマフェスタとの数奇な関係は育成シナリオのモチーフになっています。

ジュニア6月 デビュー戦に向けて

注目のウマ娘はいるか?というやりとりの後、歌手の娘というウマ娘について触れられます。
この元ネタはナカヤマフェスタのデビュー戦である2008年11月2日東京4レース新馬戦で1番人気だったウマザイルという馬です。
EXILEと交友のあったオーナーが命名を依頼したことからこの名前になったそうです。


他のウマ娘やトレーナーから「ナカヤマ」と呼ばれることが多いナカヤマフェスタですが、先生は「フェスタ」と呼んでいます。
これは生前の信子さんが同様に「フェスタ」と呼んでいたことをリスペクトしたものだと思われます。


先生の父親はレース教室を開いているウマ娘関係者のようですが、モデルとなったのは信子さんの父親・和泉信一さんです。
馬主歴60年以上のベテランで、中山競馬協会や日本馬主連合会などの役職を経験された方でもあります。
信子さんが亡くなられたあとはナカヤマフェスタの2代目オーナーとなります。

ジュニア7月 その遠吠えは群れから離れ

ナカヤマフェスタの育成シナリオでは凱旋門賞やフランスのレースを経験したウマ娘が中心となって登場します。

ゴールドシップは2014年に凱旋門賞に出走。
ナカヤマフェスタとは同じステイゴールド産駒ということもあり絡みが多いウマ娘です。

トーセンジョーダンはナカヤマフェスタの数少ない2006年生まれの同期です。
後述の中日新聞杯で共に出走することになります。

シリウスシンボリは1986年に凱旋門賞に出走。他にも数々のフランスのレースに挑戦しています。
ナカヤマフェスタとは同室ということで一緒にいることが多いです。

ジュニア10月 土煙の味

凱旋門賞に出走した馬にはゲームに実装されてない馬が数多くいますが、名前を出さずに描写されているものが見られます。

ナカヤマフェスタのジュニア期=2008年に凱旋門賞に挑戦したのはメイショウサムソンです。結果は10位でした。


ナカヤマフェスタが学校を抜け出そうとしていたのは、恐らく主戦騎手だった蛯名正義騎手が競馬学校をよく抜け出していたのが元ネタと思われます。


ナカヤマフェスタが昔は消極的だったと語る先生。
現実でも気性の荒いイメージが強いナカヤマフェスタですが、
・育成牧場の新井牧場では「素直で扱いやすい馬だった」
・二ノ宮調教師は「育成調教中は悪い性格は見せなかった」
・堀内岳志調教助手(当時)も「実はすごく頭が良くて扱いやすい馬」
と評されています。
引退後の現在も気性の悪さは見られず大人しいそうです。

クラシック期

クラシック1月 京成杯

前走を評価されているナカヤマフェスタ。
史実では京成杯の前に東京スポーツ杯2杯Sで勝利しています。信子オーナーにとっては初めての重賞勝利でした。
これが評価されて京成杯では1番人気に推されます。


京成杯の第3コーナーで突如ナカヤマフェスタに異変が生じます。
これは2009年の京成杯がモチーフです。
第3コーナーでナカヤマフェスタのすぐ横を走っていたサンライズキールが故障により落馬。これを見たナカヤマフェスタは驚いて減速。
その後必死に追い上げましたが2着でした。


京成杯の勝利の喜びも束の間、先生の余命が1年もないということを告げられます。
先生のモデルとなった信子さんは2009年(フェスタのクラシック期に相当)の11月に食道がんで逝去されています。
発症時期について詳細な記載は見当たりませんでしたが、時期としては一致しています。


信子さんはパリが好きで何度も旅行に出かけたことがあったそうです。
亡くなる直前にも家族や友人と共にパリを訪れていたそうです。
また宝塚歌劇団の大のファンでもありました。
この2点がナカヤマフェスタの出走レースに大きくかかわることになります。

クラシック1月 夜明けが来ないなら、迎えに行こうか

先生のために三冠路線への挑戦を決意するナカヤマフェスタ。
実際に三冠レース全てに出走しています。


クラシック4月 皐月賞


この頃からナカヤマフェスタの育成シナリオに頻繁に登場するウマ娘がいます。
桜花賞やオークスを勝ち上がって注目を集め、凱旋門賞にも挑戦しようという実力を持ったウマ娘です。

モチーフとなったのはこの世代最強の牝馬ブエナビスタです。
ウマ娘にも実装の予定があり、立ち絵も用意されていましたが権利の関係のためか2023年現在では名前すら出て来ていません。

対するナカヤマフェスタは特に注目もされていない状態です。
史実では3戦2勝と戦績は良かったものの8番人気でした。
これは弥生賞に出走予定だったものの最終追切の動きが悪く回避、その後スプリングステークスに出走予定でしたがこちらも体調が整わず出走しなかったため、前哨戦を挟まずにぶっつけ本番で皐月賞に挑むことになったのが原因と言われています。


凱旋門賞に挑むことについて記者に問われた際、過去に挑戦したウマ娘についての言及があります。
「去年のウマ娘」は「土煙の味」でも述べたようにメイショウサムソンです。
「その前に挑んだ三冠ウマ娘」はご存じディープインパクト
2006年に凱旋門賞に挑戦し、3位に入選しましたが後に禁止薬物が検出されるという事件が発生、これによって失格となり大きな衝撃を与えました。

クラシック5月 日本ダービー

オークスウマ娘が海外へ挑戦することが知らされ、ストーリーはしばらく彼女の話題で持ちきりとなります。
元ネタとなったのはまたしてもブエナビスタです。
桜花賞とオークスを勝利したら凱旋門賞を目指す予定だったのですが、
ダービーの前週のオークスを勝ったことで挑戦する意向を固めました。
後にドバイシーマクラシック、ドバイワールドカップにも出走しています。

オークスウマ娘はこの辺りから「絶景」や「景色」といった言葉とともに語られるようになります。
これはブエナビスタ(Buena Vista)がスペイン語で「絶景」「特別な景色」といった意味を持つ言葉だからです。


ナカヤマフェスタの育成シナリオではダービーの注目度が低く、ダービー優勝者よりもオークスウマ娘の方が話題となります。
当時の空気を詳しく知ることが出来なかったので実況などからの推測になりますが、2009年クラシック世代の芝戦線は牝馬のブエナビスタが一強の状態でした。対する牡馬は突出して強い馬がおらず注目度が低かったことが元ネタになっていると思います。
「6戦5勝かつ、全てのレースで一番人気」もオークス出走時点での彼女の成績です。新馬戦で敗北したものの、以降は5連勝と快進撃を続けていました。


クラシック7~8月 夏合宿

凱旋門賞に挑戦する予定だったオークスウマ娘が一転して回避することになり、ウマ娘や記者の間で重い空気が流れます。
元ネタとなったブエナビスタはオークスの後に札幌記念(G2)に出走。
このレースに勝ったら凱旋門賞に挑戦することが、オーナーと松田調教師との間で約束されていました。
しかし結果はヤマニンキングリーにわずかに届かず2位となり、凱旋門賞の回避を決断。代わりに秋華賞へ向かうことになります。

クラシック10月 菊花賞

トレーナー室を訪ねてきたシリウスシンボリがブエナビスタについて語りだします。
「世の中に巻き起こした絶望」というのは凱旋門賞を回避したことだと思いますが、別の可能性としては秋華賞の結果です。
ナカヤマフェスタの菊花賞の前週、秋華賞に出走したブエナビスタは走行妨害により3位に降着処分となり三冠の達成はなりませんでした。

菊花賞の後、弱り切った先生を見て途方に暮れるフェスタの元へトーセンジョーダンがやって来て中日新聞杯での勝負を約束します。
2009年の中日新聞杯は二頭が共に出走した唯一のレースでした。
シナリオ中ではフェスタの方が格上という扱いですが、実際は菊花賞の頃から気性が本格的に悪化しまともな調教ができなくなっていたため、トーセンジョーダン4位、ナカヤマフェスタ13位という結果に終わっています。

クラシック12月 中日新聞杯

中日新聞杯に勝利後、病室を訪れると先生が手術を受けていたことを知らされます。
モデルとなった信子さんは食道がんを患っていましたが、病巣が大動脈と心臓に近い位置あったため手術が出来ずこの年の11月に亡くなりました。
ウマ娘世界では先生が生存するため、完全なifルートに入っていきます。

先生を元気づけるために宝塚記念に出走すると宣言。
信子さんは宝塚歌劇団の大ファンであり、タカラジェンヌが花束贈呈を行っていた宝塚記念を勝ちたいと言っていたそうです。
信子さん亡き後、父親の信一さんが宝塚記念出走を決めたのも娘さんのことを思ってのことでした。
「すみれの花が咲くころ」というのは宝塚歌劇団を象徴する楽曲「すみれの花咲く頃」が元ネタです。
後に凱旋門賞に挑む際のチーム名の由来にもなっています。

クラシック12月 一方通行の砂時計

エルコンドルパサーがナカヤマフェスタを自分のチームに引き入れ、凱旋門賞を目指すことにします。
これは凱旋門賞に向けて最高の体制を作るため、11年前のエルコンドルパサーの時と同じメンバーを集め「チームエルコンドルパサー」として挑戦したことに由来します。
具体的には二ノ宮調教師、佐々木幸二調教助手、蛯名正義騎手、永田廣獣医、ドリームファームの鳴島敏晃氏といったメンバーが集められました。
また堀内調教助手はエルコンドルパサーの凱旋門賞を現地で観戦していたそうです。(役職などはいずれも当時)
フランスではエルコンドルパサーと同じくトニー・クラウト厩舎に入りました。なんと馬房もエルコンドルパサーと同じだったそうです。

シニア期

シニア1月 初詣

VRウマレーターを使ってフランスの環境に慣れておくというトレーニングを行います。
ナカヤマフェスタは凱旋門賞の約2か月前にフランスへ渡りましたが、これは信一オーナーが海外の環境に慣れさせるために早めのフランス入りをさせたことと関係していると思います。

フランスの芝が日本のものと違うものの、対応できそうと語るフェスタ。
フランスでの調教後に二宮調教師が「深い芝にも対応できている」とコメントしたことから、海外でも戦える素質を持っていたようです。
また海外レースに強いステイゴールド産駒の意味も含んでいるかもしれません。

選択肢「周囲のグルメ情報を教えてほしい」を選ぶとフランスの料理に慣れるよう店を見て回ることとなります。
フランスに渡ったナカヤマフェスタは食欲が落ちた様子はなかったらしく、凱旋門賞の前走フォワ賞の様子を見た信一オーナーは「馬体が太い」と感じたそうです。
体重も20~30kgは増えたのではないかと言われていました。

選択肢「軽く回りを散策してみたい」を選ぶとフェスタは勝手にどこかへ走っていきます。
ナカヤマフェスタはフランスでもやんちゃぶりを見せたようで、凱旋門賞の追い切りの時にダートコースに走っていったとか、フランスのエーグル調教所でどこかに行って2時間くらい帰ってこなかったなどと語られています。

「慣れない場所では普段と異なる行動を取る」というのはナカヤマフェスタのフランスでの調教の様子を指していると思われます。
気性の悪さから海外での調教に不安があったナカヤマフェスタですが、初回のフランス遠征では環境の変化が良い方向に働いたのか、気性の悪さはあまり出ずに調教が進んだそうです。
その代わり2回目の挑戦ではフランスの景色や場所をしっかり覚えていたらしく、上手く調教が出来なかったそうです。

シニア2月 バレンタイン

ナカヤマフェスタが勝利にあと1歩届かず2着となる夢は2010年の凱旋門賞です。最終直線で追い上げるも、ワークフォースにわずかに届かず2位となりました。


過去の凱旋門賞の映像で流れてくる実況にある「勇者」とは1986年の凱旋門賞に勝利したダンシングブレーヴです。(1986年はシリウスシンボリが挑んだ年でもあります)
最終コーナーで大外に持ち出さざるを得ない状況から驚異の追い上げを発揮し、当時のコースレコードを記録して勝者となりました。
ウマ娘の新シナリオではリガントーナのモチーフではないかと言われています。
またスターブロッサムではサンダンスブレイズという名前で出演しています。


ナカヤマフェスタに「チョコのお礼は何がいいか」と聞くとおかゆを所望。驚きながらも体をいたわった味付けのおかゆを差し入れます。
これはナカヤマフェスタの調教師であった二ノ宮敬宇調教師に由来するものです。
信一さんと信子さんがレキシントンのセリに行った際、信子さんは二ノ宮調教師の調教助手に馬を預けていました。
その際、二ノ宮調教師は風邪を引いてレキシントンのホテルで寝込んでおり朝から何も食べていませんでした。
そこで信一さんは立ち寄った日本料理店でお粥を作らせ、調教助手に持たせ二ノ宮調教師に差し入れました。
翌日、朝一番の飛行機で帰るためホテルを出ようとしたら二ノ宮調教師がお礼の挨拶に来たそうです。
信子さんがその律義さを気に入り、ぜひ二ノ宮調教師に馬を預ることになりました。
そんな二ノ宮調教師が探してきた馬がナカヤマフェスタでした。

シニア4月 ファン感謝祭

ファン感謝祭でチームを組むウマ娘も凱旋門賞に縁のあるメンバーです。
サクラローレルは1997年の凱旋門賞に挑戦する予定でしたが、前走のフォワ賞のレース中に故障が発生しそのまま引退となりました。
サクラローレルの育成シナリオではフォワ賞を無事に勝利しており、凱旋門賞に挑戦している様子が描かれています。
またコミカライズのスターブロッサムでは凱旋門賞を目指すストーリーになっており、今後の展開が楽しみです。

マンハッタンカフェは2002年の凱旋門賞に挑戦しました。
レース中に故障が発生し結果は13位、このレースをもって引退となりました。
二人がレース出走前の準備を入念に行うようアドバイスするのも、自分たちが経験した故障を心配してのことだと思われます。

感謝祭中の回想で、凱旋門賞出走ウマ娘が引退する様子が語られます。
ナカヤマフェスタ出走以前で凱旋門賞が引退レースとなったのはエルコンドルパサーとマンハッタンカフェですが、名前をわざわざ出していないということは別の馬がモチーフと思われます。
ウマ娘に実装されておらず、日本の馬で凱旋門賞が引退レースとなったのは2012年にオルフェーヴルと共に走ったアヴェンティーノ、2022年のステイフーリッシュです。
ステイフーリッシュの引退はナカヤマフェスタ実装の2週間前なのでシナリオが書き直されたということはないでしょうから、時系列がおかしくなりますが恐らくアヴェンティーノだと思われます。

シニア5月 遠く遠く、はるか遠くへ

5月に凱旋門賞への登録書類を記入しようとしますが、現実でも同時期に凱旋門賞への登録を済ませています。
ナカヤマフェスタが2010年のメトロポリタンステークス(OP)に勝利後、二ノ宮調教師から「宝塚記念の勝敗に関わらず凱旋門賞に挑戦したい」という申し出がありました。
これは信子さんがフランスや宝塚歌劇を好きだったため、宝塚記念から凱旋門賞に挑戦できたら喜ぶだろうと考えてのことでした。
信一さんは、二ノ宮調教師が過去にエルコンドルパサーでの凱旋門賞の経験があること、信子さんも喜ぶだろうという想いから「大いにやって欲しい」とこれを承諾。
こうしてナカヤマフェスタは凱旋門賞に挑戦することになりました。

ただし育成シナリオではこの年の凱旋門賞には挑戦せず、1年間の更なるトレーニングを経験してから挑むことになります。
ナカヤマフェスタは2010年と2011年の凱旋門賞に挑戦していますが、以降はその両方が混ざったようなストーリーになります。

シニア6月 宝塚記念に向けて

世界の強豪に挑むには世界を知っているウマ娘との対戦が不可欠、ということで日本総大将のスペシャルウィークと宝塚記念で対決することになります。
これは2010年の宝塚記念でナカヤマフェスタと戦ったブエナビスタがスペシャルウィーク産駒であるため、代役としての登場です。

またこのレースではエアグルーヴとメジロマックイーンも出走しています。
恐らくはフォゲッタブル (母エアグルーヴ)とドリームジャーニー(母父メジロマックイーン)の代役だと思われます。

宝塚記念でスペシャルウィークに勝利後、啖呵を切るナカヤマフェスタに対するエルコンドルパサーの反応。
日本の馬が凱旋門賞で残した記録のうち、最も勝利に近かったのが1999年のエルコンドルパサーの2着(半馬身差)でした。
「英雄」とはディープインパクトの異名です。前述のとおり3位に入選するも失格となりました。

シニア8月 夏合宿

記者たちがナカヤマフェスタの家柄について評するシーン。
これは以下のような要素のことを含んでのことかと思います。
・ナカヤマフェスタの生産牧場の新井牧場が個人経営の牧場であること
・競り落とされた価格が1000万円と比較的安価であったこと
・信一さんがG1勝利経験がなかったこと
・信子さんがナカヤマフェスタが2頭目の所有馬で、重賞勝利経験がなかったこと

シニア11月 ジャパンカップ

育成目標の最後となるジャパンカップでエルコンドルパサーと対決。
勝利後にエルが語る「半バ身差」は1999年のエルの記録、「アタマ差」は2010年にナカヤマフェスタの記録です。
日本から挑戦した馬の中で最も凱旋門賞の勝利に近づいた記録が、このナカヤマフェスタのアタマ差2着でした。
この記録は現在も破られていません。

エンディング

育成シナリオ終了後、フランスに渡ったナカヤマフェスタの様子が記者の視点で描写されます。
体格や筋肉の成長については、2010年の遠征時に信一オーナーが感じた印象が元ネタと思われます。
日本にいた頃よりも一回り体が出来上がって、この馬はどこまで成長するのだろうと驚いたそうです。

併走相手については詳細がわかりませんでしたが、日本の馬だとすると2010年に共に挑戦したヴィクトワールピサ、2011年のヒルノダムールでしょうか。
個人的には2011年に共にフランスに渡ったナカヤマナイトのことではないかと思っています。

和装の女性に手を振るナカヤマフェスタ。
凱旋門賞のパドックでは、信子さんの妹さんや友人が信子さんの着物を着てロンシャン競馬場を彩っていたそうです。

前日に雨が降って重馬場となったのは2010年の凱旋門賞です。
重馬場を不利としないナカヤマフェスタは2位の結果を残しました。

フランスから帰国後、サトノダイヤモンドが登場します。
サトノダイヤモンドは2017年に凱旋門賞に挑戦した馬です。
これで凱旋門賞に出走したウマ娘がすべて登場となります。
タップダンスシチーが未登場ですが、ナカヤマフェスタ実装時点で情報解禁となっていなかったためです。

その他

ここからは育成シナリオに直接関係しないイベントを紹介します。

母親

母親がやたらと気の強い様子で話していますが、これはナカヤマフェスタの母ディアウィンクがモチーフです。
ディアウィンクは「ちょっとがさつというか、大柄な感じのでその意味ではあんまり女らしくない馬」などと評されています。
また気もかなり強かったらしく、牧場に来てから1~2年で繁殖牝馬たちのボスの座に収まっていたそうです。

ワンダーアキュート

「ラチの向こうの同期」とタイトルにあるように、ナカヤマフェスタとワンダーアキュートは共に2006年生まれの同世代です。
ラチの向こうというのはそれぞれ芝とダートで走っていたことを指していると思われます。
また2023年までは2頭ともアロースタッド牧場で過ごしていました。

ネコ

ブリーダーズスタリオンステーションで馬房が隣だった父・ステイゴールドと猫を見つめていた写真がネットに出回っています。
なかなか微笑ましい様子なのでぜひ検索してみてください。
またアロースタッドでは猫を飼っており、ナカヤマフェスタと一緒にいるところが撮影されています。


以上、ナカヤマフェスタについて元ネタと思われるものを列挙しました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
間違っているところ、他に気付いたことなどありましたらコメントでご指摘いただけると嬉しいです。
L'Arcシナリオでも元ネタとなっているエピソードがあればまた記事を書きたいと思います。


参考文献

・中山馬主協会「ロンシャンに咲くスミレの花」

・石田敏徳「黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語」講談社

・グリーンチャンネル「水曜馬スペ!Go Go!ヨシトミ」

・吉沢 譲治「日本最強馬 秘められた血統」PHP研究所

・「小説すばる2022年7月号」集英社

・凱旋門賞の挑戦者~世界に一番近づいた馬、ナカヤマフェスタの真実 netkeiba.com

・【藤井勘一郎コラム】凱旋門賞2着馬ナカヤマフェスタを担当 3月から開業する堀内岳志調教師の素顔 東スポ競馬HP

・【凱旋門賞】2着は2着…。エルコンドルパサー、ナカヤマフェスタの担当獣医から見た凱旋門賞 netkeiba.com(有料記事)

・ナカヤマフェスタ、皐月賞直行へ 競馬予想のウマニティ

・和泉信一オーナーインタビュー動画(出所不明)

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