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ウマ娘でナカヤマフェスタを好きになったので史実をまとめてみた

※この記事はウマ娘から競馬を知り、ナカヤマフェスタのファンになった新人トレーナーが書いています。記事は書籍・ネット記事・オーナーへのインタビューを基にしていますが、内容や用語に誤りがあった場合はご容赦ください。

はじめまして、Rickと申します。
ナカヤマフェスタが育成ウマ娘に実装されるという事で、今まで調べた史実の内容とゲーム中の情報などを照らし合わせていきたいと思います。

主な登場人物

◆ナカヤマフェスタ
2006年4月5日生。牡馬。父ステイゴールド、母ディアウィンク。
ウマ娘世界では同じステイゴールド産駒のゴルシとよく絡んでいる。

◆和泉信一オーナー(以下、信一さん)
ナカヤマフェスタのオーナー(2代目)
日本馬主連合会名誉会長、東日本馬主協議会最高顧問、中山馬主協会最高顧問などを務める。

◆和泉信子オーナー(以下、信子さん)
ナカヤマフェスタのオーナー(初代)
信一さんの娘さん。

◆二ノ宮敬宇調教師(以下、二ノ宮調教師)
ナカヤマフェスタの調教師。エルコンドルパサーの調教師でもある。

◆ステイゴールド
フェスタとゴルシの父。
ウマ娘世界では「キンイロリョテイ」としてアニメ1期に登場している

生い立ち

北海道むかわ町に新井牧場という夫婦二人で切り盛りしている家族経営の牧場があります。そこで2006年4月5日、「ディアウィンクの2006」という馬が生まれました。
当時の印象として「欠点は無いが、特別すごい馬でもなかった」と評されていますが、この馬が後に数奇な運命を辿ることになります。

翌年2007年7月、セレクトセールで1000万円で落札されます。
この際の購買者は信一さん、競り落としたのは代理人の二ノ宮調教師です。後に信子さんの所有馬として登録されます。

信一さんはあまり高額な馬は購入しない方針だったため、二ノ宮調教師はその予算内で購入できる馬を探していました。二ノ宮調教師はステイゴールド産駒に注目していたのですが、その中に自分が理想とする馬体を彷彿とさせる体つきをした馬がおり、それが「ディアウィンクの2006」でした。

競り落とされた馬は信一さんの冠名「ナカヤマ」と、信子さんが宝塚歌劇団のファンだったことや「お祭りしよう」という思いを込めて「ナカヤマフェスタ」と付けられました。(※1)

その後育成調教を経て美穂トレセンに入ります。
ウマ娘世界でも美穂寮の所属です。ラジオドラマでは栗東寮のスペとはあまり面識がないようです。

(※1) 信一さんはかつて「イズミ」「シン」を冠名にしていました。
中山馬主協会の役員だった信一さんはレキシントンの馬産地を見学する会に参加し、役員5人で馬を共同購入しました。馬名は中山馬主協会から取って「ファイブナカヤマ」「ゴーゴーナカヤマ」と名付けられました。
その後、個人で馬を所有する人や引退する人が増えたので当時の会長だった信一さんが「ナカヤマ」の冠名を引き継ぐことになりました。

2008年(2歳)

2008年11月2日に芝1600mでデビューします。
この日はウォッカとダイワスカーレットが戦った天皇賞(秋)と同日でもあります。ナカヤマフェスタはデビュー戦を勝利で飾ります。

続く東京スポーツ杯2歳S(G3)では9番人気。2着のブレイクラインアウトに迫られながらも再加速して勝利します。信子さんはこれが初の重賞勝利でした。

この頃から気性の悪さが目立つようになっていて、返し馬で暴走しかけたり、勝利後にコーナーのポケット部分に入って動かなくなったりしたそうです。

ウマ娘でも史実でも気性の悪さが話題に上るナカヤマフェスタですが、調べてみると
「気性の悪いステイゴールドの産駒の中でも特に気性が悪い」
「調教中に急に立ち止まる」
「かと思いきや立ち上がって暴れる」
「坂路の追い切り中に立ち止まる」
「産駒にまで気性の悪さが遺伝してシンジケートが一度解散した」
「追い切りで騎手を振り落とす」
「騎手を振り落したが逃げずにその場に留まる」
「宝塚記念の本馬場入場で柴田善臣騎手を振り落とした」
「フランスの調教中に垣根を飛び越えた」
「凱旋門賞の追い切りでダートコースに向かって走ろうとする」
「フランスのエーグル調教所でどこかに行って2時間くらい帰ってこない」
「柴田善臣騎手が『ひどかったよ』と言っていた」

などといくらでも逸話が出てきます。
母ディアウィンクもかなり気が強かったらしく、牧場に来て数年で繁殖牝馬たちのボスの座に収まっていたそうです。

ですが新井牧場で育った頃は「素直で扱いやすい馬だった」と評されていますし、二ノ宮調教師は「育成調教中は悪い性格は見せなかった」、堀内岳志調教助手(当時)も「実はすごく頭が良くて扱いやすい馬」と言っています。引退後の現在も気性の悪さは見られないようなので、調教を嫌がっていただけで元々は大人しい性格だったのかもしれません。

信一さんは馬の気性について独自の理論を持っていました。「馬というのは敵から身を守る方法が『蹴る』か『逃げる』しかないため、やんちゃな馬や臆病な馬の方が力を発揮できる」と考えていたそうです。そういった意味ではナカヤマフェスタはこの上なく勝負強い馬だったのでしょう。

2009年(3歳)

1月の京成杯(G3)では一番人気に推されますが、第4コーナーですぐ横を走っていたサンライズキールが故障で落馬したのを見て減速。その後盛り返しましたが2着に終わります。

その後は弥生賞(G2)に進む予定でしたが、最終追い切りの動きが悪く回避。
次の目標をスプリングステークス(G2)に切り替えますが、こちらも体調が整わず回避となります。

直行となった皐月賞に挑みますが結果は8着。

続くダービー(G1)は昼過ぎからの豪雨の影響で不良馬場での開催。
荒れたレースになり4着に終わりましたが、持ち前の末脚を発揮して後方勢の中で唯一の入着でした。
レース後は疲れた様子もなくケロッとした姿を見て堀内助手は「ただものではない」と思ったそうです。

この年の秋には気性がかなり悪くなっていたらしく、調教中に立ち止まって動かなくなるかと思えば立ち上がって暴れる、追い切りで蛯名騎手を振り落とすなどしていたそうです。
菊花賞トライアルのセントライト記念(G2)は勝利したものの、気性の悪さがいよいよ深刻化。
二ノ宮調教師は更に厳しい調教をして気性難を克服しようとしますが、これが逆効果だったようで菊花賞(G1)は12着、中日新聞杯(G3)は13着という結果になりました。馬と人間の信頼関係が作れていなかったため、十分な力を発揮できなかったのが原因でした。
ちなみに中日新聞杯ではトーセンジョーダンも出走しており、ナカヤマフェスタと唯一の対決をしています。結果は4着でした。

そんな中、11月にオーナーの和泉信子さんが食道がんで亡くなります。まだ50代の若さであり、ナカヤマフェスタのオーナーとしても早すぎる不幸だったと思います。
ナカヤマフェスタは父親の信一さん引き継ぐことになりました。このため2010年以降ではナカヤマフェスタの勝負服が異なります。
ウマ娘のナカヤマフェスタの勝負服原案は信一さんの勝負服を元にデザインされています。
信子さんの勝負服は白地に星を散りばめたものです。いつかこのデザインでウマ娘化されたナカヤマフェスタを見てみたいと願うばかりです。

私はまだ競馬に詳しくありませんが、このような理由で勝負服を着替えた馬は他にあまりいないのではないかと思います。
この話を知った時に何とも言えない気持ちになり、それがナカヤマフェスタという馬/ウマ娘を好きになったきっかけの一つでもあります。
ウマ娘世界の体彼女がどのような心境で勝負服を着て走っているかと思うと色々な想像が巡ってしまいます。

2010年(4歳)

二ノ宮調教師はこの頃から調教の方針を変更し、ナカヤマフェスタの自主性を尊重するように辛抱強く調教をするようにしました。それが功を奏したのか徐々に人間との信頼関係が作られ、気性が少し落ち着いたそうです。

4月、勝負服を着替えて挑んだメトロポリタンステークス(OP)を勝利。
次の目標を宝塚記念(G1)に設定します。亡くなられた信子さんは宝塚歌劇団のファンであり、当時タカラジェンヌが花束贈呈を行なっていた宝塚記念を勝ちたいと語っていたそうです。
信一さんは「宝塚記念にナカヤマフェスタを出走させれば娘も喜ぶだろう」と思い、宝塚記念への準備を進めます。
ナカヤマフェスタが気性が落ち着いたのは調教が変わった影響もあると思いますが、信子さんの夢を叶えるためにナカヤマフェスタが懸命に走ろうとしたのだと思ってしまうのは私だけでしょうか。

そうして迎えた宝塚記念。ナカヤマフェスタは人気投票43位、当日のオッズは8位と決して高くない評価でした。
他の出走馬には天皇賞春の勝者ジャガーメイル、中日新聞杯・金鯱賞・ 札幌記念を勝ってきたアーネストリー、宝塚3連覇に臨むステゴ産駒ドリームジャーニー、前年のダービー馬ロジユニヴァースなどが揃っています。
ですが特筆すべきは人気投票・オッズともに1番人気の牝馬ブエナビスタ。阪神ジュベナイルF(G1)、桜花賞(G1)、オークス(G1)、ヴィクトリアマイル(G1)を勝利しており間違いなく最強の馬でした。
最終的な成績はG1を6勝、引退当時の賞金総額はテイオムオペラオーに次ぐ歴代2位、牝馬としては当然1位であのウォッカよりも上です。
ウマ娘にも実装の予定があったと言われており、ビジュアルだけは用意されていました。

ブエナビスタと言われているウマ娘

またナカヤマフェスタのSSRサポートで映り込んでいるウマ娘もこのブエナビスタだと思われます。

後ろのウマ娘の勝負服のカラーが似ていること、耳飾りが左耳についていること、
エピソードで1番人気と語られていることからブエナビスタだと思われる

このカードの名前「43、8、1」はナカヤマフェスタが宝塚記念の人気投票43位、当日のオッズが8番人気、着順が1着に由来しています。
スペシャルウィーク産駒なのでゲーム中ではスペが代理で出走するのではないでしょうか?

そんなブエナビスタが圧倒的な支持を集める中、後ろから追い上げたナカヤマフェスタが最終直線でまとめて差し切って見事に優勝。信子さんの夢を叶えた瞬間でした。

宝塚記念の後、ナカヤマフェスタは凱旋門賞への挑戦を表明します。
遡ること2ヶ月ほど前、二ノ宮調教師はメトロポリタンステークスの後に「宝塚記念の勝敗に関わらず凱旋門賞に挑戦したい」と信一さんに相談していました。これは信子さんの夢があったからです。
信子さんは亡くなる1週間前にフランスに旅行に行かれたそうですが、そこで「ナカヤマフェスタで凱旋門賞を勝ちたい。またパリに来たい」と話されていたそうです。二ノ宮調教師にはその信子さんの言葉に応えたいという思いから凱旋門賞への挑戦を願い出ました。
しかし海外遠征にかかる費用は9000万円ほどかかる見込みで、宝塚記念に勝てる保証も、凱旋門賞で上位入賞できる保証もありません。ですが娘さんと二ノ宮調教師の想いを受け取った信一さんは凱旋門賞への挑戦を快諾。こうしてナカヤマフェスタはフランスへの準備を進めることになりました。

凱旋門賞に向けて最高の体制を作るため11年前のエルコンドルパサーの時と同じ二ノ宮調教師、佐々木幸二調教助手、蛯名正義騎手、永田廣獣医、ドリームファームの鳴島敏晃氏といったメンバーが集められました。また堀内調教助手はエルコンドルパサーの凱旋門賞を現地で観戦していたそうです。
こうして編成されたチームは宝塚歌劇団を象徴する楽曲「すみれの花咲く頃」から「すみれの花」と二ノ宮調教師によって命名されました。
ウマ娘のナカヤマフェスタが旧設定でガーデニングを趣味としていてスミレを育てているのはここから取られています。

8月、現地に慣れさせるため凱旋門賞の2ヶ月前にフランスに渡りました。環境や餌の変化、輸送による疲労も問題はなかったらしくリラックスしている様子でだったそうです。
厩舎はエルコンドルパサーと同じトニー・クラウト厩舎に入り、馬房もエルコンドルパサーと同じでした。トニー調教師は非常に友好的に接してくれて、片言ながらも日本語で話してくれました。

知らない環境に置かれたからか気性の悪さが落ち着き、日本にいる時よりも順調に調教ができたそうです。

9月にフォワ賞(G2)に参加。信一さんは5着に入れば良いと思っていたそうですが、返し馬で興奮気味だったのを見て「ナカヤマフェスタの良いところが出てきた」と思ったそうです。優勝は逃してしまいましたが、2着と良い結果を残すことができたためフランスの深い芝でも走れることが分かりました。

そして迎えた10月。いよいよ凱旋門賞です。
日本からはナカヤマフェスタの他に、同年の皐月賞馬ヴィクトワールピサが参戦していました。当時のオッズは確認できませんでしたが、ナカヤマフェスタが宝塚記念でブエナビスタを破ったのが偶然だと思われていたフシがあり、またヴィクトワールピサの方が1歳若く斤量が少ないためこちらが有力視されていたようです。
ですが信一さんは「ナカヤマフェスタは何をするか分からない馬。好走するか惨敗するかのどちらかだと思っていた」と語っています。パドックで暴れだしたのを見て、この馬の気性が出てきたのでひょっとしたら好走するのではないかと感じたそうです。曰く「やんちゃぶりが出てないとこの馬は特徴が出てこない」そうです。

そうして始まったレースですが、かなり密集した展開となりました。第3コーナーで馬群に揉まれて蛯名騎手が腰を落としてしまい、あわや落馬というような場面もありましたが、最終直線で前方に出ます。英国ダービーをレコード勝利したワークフォースに並びかけますが、優勝は叶わず結果は2着でした。この時の着差のアタマ差は日本で最も凱旋門賞の優勝に近づいたものでした。

これによってナカヤマフェスタはワールドサラブレッドランキングで127ポンドの5位に入ります。2006年のディープインパクトに並ぶ評価でした。

帰国後、11月のジャパンカップ(G1)に参加しますが14着に終わります。ここではエイシンフラッシュも一緒に走っており、結果は8着でした。
レース後に足に内出血が見つかったためしばらく休養に入ります。

2011年~現在

この年は国内での出走は無く、ふたたびフォワ賞と凱旋門賞に挑みますが結果を残すことは出来ませんでした。
2回目のフランスでは1年前の事を覚えていたらしく、調教場のどこに何があるかまで完全に把握していたそうです。そのため1回目よりもやんちゃをすることが多くなり、上手く仕上げることが出来なかったのが敗因でした。
このフランスでのレースを最後にナカヤマフェスタは引退となりました

2012年からは種牡馬としての生活を送ります。
凱旋門賞2着の実力や、同じステイゴールド産駒のオルフェーブルの活躍によってナカヤマフェスタへの期待は高まっていました。初年度から100頭を超える種付けが行われたましたが、なかなか産駒に結果が出ず2017年で種牡馬シンジケートが解散となりました。
しかし2018年にガンコが日経賞(G2)を勝利したことで2019年から種牡馬生活を再開しました。
2020年にはバビットがセントライト記念(G2)、ラジオNIKKEI賞(G3)を勝利。足の治療のため一時休養していましたが、今年2022年から復帰したので今後の活躍が期待されます。

ナカヤマフェスタ現在は北海道のアロースタッド牧場で生活しており、見学もできるそうです。私もいつか彼に会いに行きたいと思います。


以上がナカヤマフェスタについて私が調べたことです。
ウマ娘を知る前は競馬に全く興味がなかった私をここまで強烈に惹き込んだのは、彼の生涯があまりにも劇的だったからです。亡きオーナーの夢を背負い、宝塚記念を勝ち、日本の馬として最も凱旋門賞の勝利へ近づいたというエピソードを知った瞬間に彼のファンになってしまい、どんな馬なのだろうと調べずにはいられませんでした。
拙い文章でしたが、彼の魅力が少しでも伝わったのであれば幸いです。

参考文献

・中山馬主協会「ロンシャンに咲くスミレの花」

・石田敏徳「黄金の旅路 人智を超えた馬・ステイゴールドの物語」講談社

・グリーンチャンネル「水曜馬スペ!Go Go!ヨシトミ」

・吉沢 譲治「日本最強馬 秘められた血統」PHP研究所

・「小説すばる2022年7月号」集英社

・凱旋門賞の挑戦者~世界に一番近づいた馬、ナカヤマフェスタの真実 netkeiba.com

・【藤井勘一郎コラム】凱旋門賞2着馬ナカヤマフェスタを担当 3月から開業する堀内岳志調教師の素顔 東スポ競馬HP

・【凱旋門賞】2着は2着…。エルコンドルパサー、ナカヤマフェスタの担当獣医から見た凱旋門賞 netkeiba.com(有料記事)

・ナカヤマフェスタ、皐月賞直行へ 競馬予想のウマニティ


・和泉信一オーナーインタビュー動画(出所不明)

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