優しい人は優しさという社会性協調性の仮面をかぶって常に笑う。 笑わなくても、人の顔を伺う。 君に合わせる 自分を犠牲にする。 きづつくことをいわない 自分を出さない 本物の自分を見せずに。 拝啓 親友よ、聞こえてるか 君が好きな俺は本物じゃない。
人は簡単に壊れます。 今までそんな悩みがない人は実に幸せ者です。 夢が絶望的になった時壊れる。 今の安定が崩壊した時壊れる。 求められないとわかる時に壊れる だったら最初っから自分に求めすぎないでいんじゃないか。みんな自分を全betする。 幸せなんて半年に一回くればいいもんだ 壊れるよりも妥協していいじゃんか
バカ、社会不適合者と英雄は紙一重
中高生の頃は意味なんて考えずにがむしゃらにスポーツに没頭していた。あの頃は非常に充実していた。 特にバスケットボールなんか将来役に立つことはほとんどないのに。 最近の自分はやろうと思う事全てに意味を持たせようとする。なぜこれをやるのか、なぜやんなきゃいけないのか。 気持ちを保つのが難しくなってくる
頭がおかしい。みんなと同じではない。一緒に楽しめないって近頃思っていた。 それは19歳という大人と子供の狭間にいて、少し大人になった自分とまだ未熟な他者というギャップのせいだからか。もしくはその逆だからなのか。 しかし、そんな事より根本的に僕はADHDのような特性があるからしょうがないのかもしれないの。
ずっと思ってたことがある 私たちは非凡を求めるくせに実際に人と違うと孤独を感じ、人と同じになりたい。 人と同じになると非凡を感じたくなる。 結局どうなりたいんだ。
最近、お前は単純でわかりやすいって言われる。 でも、俺は単純で分かりやすい人ではない。 なぜなら思ってもいないことを俺もそうだと、言ったりするし、全然相手と考え方違うのに、俺たち似てるなと言う。嘘もつく。 ゴレンジャーで言ったら赤みたいな性格らしいが俺の好きなゴレンジャーはだいたい青だ。 人間本当の自分を隠して生きているのではないか。 犯罪者にもそれなりの正義はある、良いやつだってポイ捨てしたことはあるだろう。 人間白黒はっきり分類できるものではない。 単純な人間でなんだろ
みんな励ます時、頑張れ、君ならできる、応援してるよっていう。 多分何かをやる時だいたいこうだ。 80%の人がこう言ってるありきたりな表現。 最近僕が気づいたのはここを頑張れっていうのを、頑張すぎるな、無理すんなよ、できる限り頑張れ。と言う。 なんか少し自分を考えてくれてるような気分にならないだろうか。 さあ明日も頑張ろう
最近、歳をとるということをたびたび感じる。 歳をとるとは寂しいことだ。自分が歳をとっていくことは許容できても周りが歳をとっていき老いていく姿を見るのはとてもつらい。そしてかなしい。 しかし、歳を取ることをやめることはできない。 そこで僕はこう思った。 歳をとることと老いることはイコールな関係ではない。 老いるとはなにか。 さぁ明日も強く生きよう。