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幸せな晴れはもうきません。

このテキストを書くにあたって
この文は同性愛者の女性に振られた、その女に心を開いた愚か者の愚かな反省文となっております。
心は本当の幸せを手に入れた時にしましょうという注意喚起と自戒を込めております、よろしくお願いします。

〜心に鍵を閉ざすこと〜

はて、幾つの時だったか。
女という存在が下劣で、蛮族で、人の心を掻き乱す悪だと認知したのは。
同年代の女から嫌われていた自分には女という存在はそういうモノなのだと思っていた、いや、今もなお、そしてこれからも。
男というのは力があり、度胸があり、顔も、財力のある、立派な人を言うのだと思っている。
自分にはそれがない、つまりはただの案山子。
それも誰もいないところで捨てられた不恰好な案山子、拾われるはずもないと、思っていた。
彼女と話して、僕はこの人のために尽くすとおもったその目標へ向かって、堕ちるまでは。

〜本心は〜

堕ちたことに悔いしかない。
心を開かなければ、閉ざしていればこんなことにはならなかったし、それでおわりだった。
なのに、今でも堕とされたその谷底へ落ちていく感覚がある。
なのに彼女は「それをネタにしてほんわかな物語をかかせてほしい」などという綱を出してきた。
屈辱、罵倒、怒り。
私は怒りしか出なかった。
振られた相手に幸せの世界を見せたいというのだ。
泣きたいのを抑え、落ちていく感覚にあった私に此れを押し付けてきたのだからもう耐えられなかった。
「断固辞退する。」
これにて僕は彼女への憧れも、感謝も、想いも、全て断ち切った。
女という生物の否定の再構築、いや、差別的意識の改革になるのではと期待した私の恥だ。
もう彼女には何も言わないし言えない、言いたくない。
逃げるとかじゃない、これはもう自戒なのだ。

〜大人ってなんですか〜

成年を過ぎ、わからないことがある。
「大人になること」。
大人はこれに冷静に対応できるものなのか。
否、できるはずがない。
幸せのひとときが崩れていくこの時、人生のスタートが切れると思った時、これだ。
理解者だと踏んだが、侮辱された私はもう彼女に合わせる顔も、セリフも、目も、姿もない、見せたくない。
また落ちるこの感覚が恋しくなっていた自分もいた。
本望だったんだ。
差別し、侮辱できた自分の思考が。
離れたいと思っていたこの危険思想が、僕の中では本来の自分だと気付かされた。
女嫌いは女を好きになることは罪なのだと再認識させてもらった、彼女には最後の感謝を申し上げたい。

最後に

危険思想に吸い付くのはやめていただきたい。
心を開くことは容易だが、そこから堕とされれば二の前だ。
だから、みんなは好きなことに忠実で、差別のない、本当の平等と、自由と、幸せを持ってほしい。
私のような本来の生きてちゃいけない人間が生きることはもう無いし、使ってはいけない。
私のような人間は必要ないのだ。
だからみんなは幸せになってほしい。
幸せに浸れない、浸ることを今後は拒むであろう自分の代わりに。
今後それに浸った時は自分は覚悟を決めた時だと思いたい。

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