【 グローバルか 狭小か 】

 世界じゅうの人がSNSやブログを使い、毎日毎日誰に頼まれるわけでもないのに自分語りに余念がない。

 机上で理屈を捏ね最もらしい正論を並べ立てたところで世界は何も変わりゃしない。

 自分語りばかりに酔いしれていると、他のことが疎かになる。

 まず自分ありきで考えてしまっていることに気づき、それがみっともないと感じるかどうかによって世界は大きく変わる。

 じつは世界はわれわれとは何ら関係がない。ただ自意識のかたまりでもって世界をみている人間ばかりだから、自分に取り込み世界をみることで深い関係があるように感ずるだけ。

 ほぼ誰もみていない。人はみな、自分と自分に関わる縁人、関心ある異性知人有名人くらいにしか興味を示さない。そのほかは蚊帳の外である。

 死ねばわかる。たとえどんな偉業を成し遂げた人も、死ねば教科書に記載される程度で、もう普段の生活では一切忘れてしまってる。

人は人をやめられぬ以上どうしても人としてしか物事を識別できない。と同時にわたしはわたしを失くせぬ以上わたしとしてしか物事を判別できぬのだ。

 各々が人生を全うする程度の時間では、それは然程深刻な問題ではないかもしれない。しかし人類史においてはどうか。

 地球の大地を揺るがすほどの悪知恵を身につけた人間らが、わたくしごとばかりに活動し続けると、間違いなく資源は枯渇する。個別にファミリーは生き延びるだろうが、グローバルな人類そのものにおいてはますます生きづらい環境に荒れ果てるだろう。

 環境危機に陥り窮地に立たされたとき、人類に気づきはやってくるのだろうか。

 自己犠牲を払い、自分のためとかファミリーとか住む街とか国とか宗教とかのためではなく人類そのもの世界そのもののために惜しみなく知恵を有効活用するという気づきが。

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昨今 何かと胸をざわつかせる「地球の環境問題」について、自分なりの見解、偏見、独断をまとめたモノです。専門家ではありませんので、眉唾で「そ…

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