私小説 「はるかな峠へ続く道」 第2章 ~疫災~

野比にとって、そこから翌春までの1年余り・・数年が経過し、多くのことが変わった今、その歳月は、・・まさに、雌伏の歳月であった。

古代中国から言い伝えられている諺に、こんなものがある。

「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)。

これは、長きにわたって覇を競っていた、呉という国と、越という国があり、ある時の戦いで、越の王、勾践(こうせん)は呉の王、夫差(ふさ)に大敗し、処刑されかけるも辛うじて除名されるという事態があった。

勾践はその後、日々、屈辱を忘れるなかれと、硬い薪の上に就寝し、雪辱を日々誓ったという。そして苦節20年余り、遂に勾践は夫差に雪辱し、その後、数年余りで呉の国を滅ぼしたストーリーは、実に2500年の時を超えて伝承されている。そしてこの時期の野比は、まさにその様な心境であった。

この時期、春先より、全世界を「得体のしれない病原菌が確認された」というニュースが駆け巡り、やがてそれは全世界を覆う「疫災」として、人類に襲いかかった。世界を異様な空気が包み込んだ。そしてあの時期、野比は、北国の、世界の中でもおそらくピリピリ張りつめた雰囲気であったであろう、その地域の中で、日々、「自分の存在意義」と直面していた・・。

「今日もわが地方の新規感染者はありませんでした・・」

夕方のローカルニュースで、ニュースキャスターが伝えている。

野比は複雑な想いで、テレビを直視すらできない日々であった。

まさに、この時期の野比の心は荒み、バランスを失い、心の中の自分が路頭に迷っていた。 人に対する寛容さをまず、失っていた。

この地方では、疫災で全世界が騒がしくなってからも、公式な患者の確認がなかったため、いや、それだからこそ、独特の空気に包まれていた。

「この地方の、第一号になってたまるか」

おそらく皆、心の中に、このような合言葉を秘めていたのではないだろうか。

野比が当時、通っていた所では、拠点が拠点が駅の近くなどではなかったため、送迎車を出していた。そしてある時期から、ドライバーの人も、こんなことを訪ねてくるようになった。

「県外との往復はありませんね?」

「・・はい・・」

「県外の方との接触はありませんね?」

「・・はい・・」

人生のリスタートを切るべく、首都圏に移住するはずが、正体不明の疫病により見通しが立たなくなり、心身のバランスを失いかけていた野比にとって、本当に辛い問いかけであった。

この時期の、この北国の土地は、野比が行っていた所が特殊なわけではけっしてなかった。本来、この土地の人の多くが持っていると言われる「優しさ」が、失われかけていた。

この土地に限らず、この時期、日本の地方部では、「他県ナンバー」の車両を見かけると、駐車したその車を破壊するという暴挙が、各地で続いていた。野比のいた土地も例外ではなかった。というより、「意地でも、この土地から患者を出してはならない」という空気感は、何度となく地元の人間と他の土地から訪れた人間との間に救われぬ軋轢をもたらした。どう考えても、地元の人間の方に非があるような交通事故案件にも、駆け付けた警官が、他県から来た被害者に対し「なぜ来た!!!」と一方的に怒鳴りつけるという、道義上信じがたいような案件もあったという。もっとも、この時期、この土地においては、「絶対の悪人は他県から来て事故の被害者になった者であり、一喝した警官はあっぱれである」そのくらいの雰囲気であった。

野比には、周りは、疫災に怯えながらも「どうせこの土地からは出ない」と、浮かれているようにも見えた。

そして野比には、他の土地がどうなっているのか、実際のところが分からなかった。

「俺は…真実が欲しい」

野比は、日々、心の中で咆哮し、震えていた。

しかし、「真実」を見て、確かめ、手中に収めるには、他の土地に向かうしかなかった。

それは到底、考えられないことであった。「他県との往来」はおろか、「他県在住者との接触」ですら、この土地では、地域社会最大のタブーと化していた。

実際、野比自身、どうしても用事があり、隣県へ向かったことがあった。

しかし、そのために、承諾しておかなければならなかったことは、「2週間の自宅待機」であった。あの時期のことは、よく覚えているという。隣県にはその県の観光資源たる霊山があり、その頂へ登った野比。半年余り、
「もう、2度と県外の地を踏む日は来ないかもしれない・・」そんな覚悟もした野比に光をもたらした大パノラマ。強く心に残る光景であった。

しかし、北国の土地へ戻ると、「2週間の自宅待機」、どこへも行けない日々があった。外部との通信もほとんどなく、ただ過ぎていく日々・・
この時も、疫病を怨んだ。

そのような日々を送り、野比は日々、「見えない何か」に押しつぶされそうな感覚の中にいた。

「自分たちの土地はほとんど疫病患者が出ていない、ここはそういう土地だ、そうでなければならない」

周囲の人間のそのような言動がたびたび耳に入る。

「星がこの土地を守る」

非常に不可解なネット記事を鵜呑みにしている者たちもいた。

中でも非常に野比を苦しめたのは、「疫病対策に気をつけている者」と、
「自分の土地は大丈夫だと根拠もなく調子に乗り、遊び歩いている者」この落差が本当に激しく、いつしか野比自身が後者に対して攻撃的な感情を持つようになり、そんな自分自身に気付き、また悩む日々が続いた。

何より野比は、早く首都圏へ行き、人生をやり直したかった。そこへ、この疫災である。なぜ?どうして?自分が悪いから、天罰が下っているのか?どこかに陰謀があるのか・・?

野比は、たびたび爆発するようになっていた。

家族ともギクシャクした。

そして、ある日、その日も遣る瀬なさに咆哮した後、気分を変えようと、
THEYELLOWMONKEYの「8」というアルバムを聴いた。

野比は、昔からこのロック・バンドを愛好していた。世の中にありったけ叫び、優しさもある世界・・そんな世界観がたまらなく好きだった。そしてこの日・・小雨が降るこの日、野比は、「峠」という曲に、

「・・ん?」

という、インスピレーションを感じた。

(※歌詞引用  悲しいだけじゃ 始まらないだろう・・
        次の峠まで   歩いていかなきゃ 延々・・)

野比の中で、何かが激しく揺さぶられた。

(そうだ、次の峠まで、歩いていかなきゃいけないんだ‥)

そう思うと、涙がすーっと、野比の頬を伝わった。

と、どこからともなく声がした。

「君、何を泣いているの?」

驚いて振り返ると、そこには、4体のシルエットが浮かび上がっていた。

(これは、もしかして・・)

シルエットAは、野比の驚きを見透かしたように、

「驚いたかい?まあ、深く考えるなよ」

野比は、意を決して、

「すいません・・今、世界的にこのような状況で、・・どこを目指して
音楽をされていますか?」

シルエットAは答えた。

「決まっているよ。君は今、峠を聴いてくれていたけど、峠を越えて、ステージに立ち、曲を作って、ファンを喜ばせる。それだけさ」
「・・・・」
「君も色々あると思うけど頑張れ」
「・・・あ・・・」

ありがとうございます、と野比が言おうとした瞬間、シルエットは姿を消していた。

数年たった今も、野比にはあの時、何が起きていたのか分からない。

しかし、間違いないことは、野比はその後も、繰り返し「峠」を聴いた。涙を流しもした。

そして、数年たった今、野比があの人生の局面、かつ危機で、廃人にならなかった大きな要因に「峠」がある。これは、間違いないと野比は思っている。


終章

それから数年が経った。

「おい、元気か?」

野比飛水が野比大輔に声を掛けた。

「はい」

野比は、その翌春、紆余曲折を経て、首都圏へ出た。

その後も様々な事があり、当初の仕事は挫折したし、野比にとって
辛いこと、震えるほど葛藤すること・・は、たくさんある日々である。

それでも耐えていられるのは、あの北国で押しつぶされそうな日々を「峠」を聴きながら乗り越えた経験も大きい、野比はそう思っている。

野比のいた北国の土地は、その後、フェーズが変わって普通に患者が存在する社会となり、野比の感覚では、本来、土地の人々が持っている優しさを取り戻している。

野比にとって、今後、辛い時、悲しい時、悲しい時、乗り越えなければならない壁が現れた時、「峠」は彼を救う、奮い立たせるものに今後もなっていくであろう。

今日も、首都圏のどこかに野比がいる。

もしかしたら、あなたの近くにいるのかもしれない。

(次の峠まで 歩いていかなきゃ 延々・・)

(完)


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