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まずは、自己紹介から(^^)

初めまして。DeafLand 聾発信の千々岩恵子です。(ちぢいわと読みます)
私はろう者で、ろうの両親を持ち、そして、夫とろうの子ども2人います。

私がろう映像制作に関わったのは、国立身体障害者リハビリテーションセンターにいた23歳の時でした。ちょうど、この頃はDPROが「ろう文化」とか「日本手話」だとか騒いでいた頃でした。私の周りにいる友人も次々と開眼して活動の輪に入ります。そして、自然と色々誘われてきます。当時は遊びたい盛りの23歳。バレーボールも楽しんでいた時期もあります。「まさか、ろう文化と日本手話が通じる世の中に?!」あまりにも空想し過ぎない?と冷やかしの目で見ていましたよ。あの頃は…全く、聾学校の洗脳は恐ろしいものです…。

いきなり、話が脱線しました。この頃です。母校の大先輩から友人が映画を作ってみたいから、君ら若いろう者を集めてくれないかと頼まれました。聞けば、ろう者だけ集まって映画を作って上映会を開くという事です。面白そう!!で、すぐに国立リハビリテーションの友達を連れて行きました。
ろう監督の大館信広さんの古い作品『過去は今』が、私の初めて映画制作に関わらせて頂いたものです。有り難いことに助監督をやらせて頂き、さらに編集作業も厚かましくお邪魔して学ばせて頂きました。映画好きでしたから、何もかもが楽しかったです。

そして、自分も何か創ってみたくなり、無謀にも短編映画『ラストクリスマス』にチャレンジしました。あの頃はまだインターネットが普及しておらず、編集のマニュアル書なんてどこも売っておらず、編集ソフトに付いている全然分かりにくいものだけでした。そして、Adobe編集ソフトセットが20万円もしました。貯めて貯めて買いました!!! 撮影は何とかなっても、編集はなかなかいきません。何度も挫折しては泣いて、千葉にいるSさん宅までパソコンを持って駆け込みました。(チャットもウェブカメラもまだなかった時期…)あの頃は本当にお世話になりました。彼らがいなかったら、私の作品は何ひとつ完成できませんでした。
『ラストクリマス』私の大切な思い出です。みんなと力を合わせてひとつの作品を仕上げるという快感、面白さ。実は次の作品の構想を立てて、私なりに絵コンテを描いて描いていました。

が……!!! 忘れもしない、1996年、大宮で開催されたDPROのTHE DEAF DAY2です。友人の何人かがスタッフをしていたので、イベントを楽しむつもりで参加してみました。
舞台でアメリカのろう文学者、ベン・バーハン氏の『あるワシの子の物語』を見て、ようやく私の長い長い洗脳が解けました(笑)アメリカ手話は全く分からないのに何故か伝わってきました!!! ああ、私は何故、ずっと空想だ、理想だ、とありのままの自分の手話を認めようとしなかったんだろうかと気付かされました。更に野呂一さん達の映像『ろう村長 横尾義智』も私の心を鷲掴みされました。ろうの村長…噂には聞いていたけれど、本当だったんだと驚き、もっと話を聞きたい!!すぐに野呂さんとお会いしてみたいとスタッフしていた友人、赤堀仁美に即お願いして紹介してくれたのが、私の人生に変えるきっかけとなりました。赤堀仁美さんに感謝です!!! 愛しています♡

そして、DPROろう歴史チームの一員として入らせて頂き、そこで出会った方々は、私のろうアイデンティティーを確かなものにしてくれました。これが私の人生だけでなく、2人のろう子どもを育ていくのにとても大切なものとなりました。

埋もれたろうの歴史を掘り起こす作業、インタビューする、発信する、作品にする。この過程を先輩たちについて学ばせて頂きました。学校の授業より断然楽しく、夢中でした!ろう歴史チームと奈良・広島へ調査&取材して作った『幕末維新を駆け抜けたろう者達』は絶版ですが、近々、DPROから公開しそうです。

続きはその次に。

『ラストクリスマス』

ベン・バーハン氏の『あるワシの子の物語』



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