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WD#110 グッバイ・マイ・カー

我が家の車が変わった。今まで乗っていたのはCUBEという車で、四角いフォルムで車内も広くかなり快適な車だった。

乗っていた期間は、なんと12年間。いまだに、私が小1のとき、ガレージに見慣れない青く輝く車があったのを覚えている。ここからずっとこの車に乗るんだな、と幼心ながら思った。

それから愛称が「キューちゃん」になったその車は、主に父親が仕事に行くために使用していた。座席はかなりフワフワしていて、疲れている時に乗ったらすぐに眠りに落ちてしまうほどだ。兄の友達がキューちゃんに乗ったとき、その座席の快適さに驚いていたと言っていた。

前の前の車であったマーチにはナビが搭載されていなかったため、キューちゃんが来た時はタッチで操作できる画面があり、それが行き先までのルートを教えてくれるという全然見たことがない技術に驚いた。ナビの案内はたまに過保護で、でも何だかそれはキューちゃん自身が案内してくれているような、そんな気がした。

オーディオもかなり良かった。低音が車内全体に響き渡る。私が駅で塾帰りに父親が迎えに来てくれるのを待っていると、「ズンズン」という窓を閉めていてもわずかに聞こえる低音によって「あ、お迎え来てくれたんだな」というのがわかったりした。

走行距離は、なんと14万キロ。地球4周半といったところだ。光なら1秒かからず進めるこの距離を、我らがキューちゃんは、12年間という長い歳月をかけて進んでくれた。

その14万キロの中には、兄の陸上部の大会を観に行ったあの道、夜な夜な父親を迎えに行ったあの道、みんなで思いつきで伊勢神宮に行こうとなって朝早くから出かけたあの道、高熱が出過ぎて一瞬意識不明になり爆速で病院へ向かったあの道が含まれている。あ、鳥取砂丘に行ったときのやつもあるな。

何回キューちゃんに乗ったかなんて、カウントするのも野暮なものだ。数多くの思い出にキューちゃんは携わっていて、今に至るまでそれに意識を向けていなかった、ただそれだけの話である。それほど日常の一端だった。

たかが機械だと言ってしまえばそれまでなのかもしれない。ただ、12年間も、私たちの足としていろんな場所に連れて行ってくれた機械を、ただの機械であると無生物的に言うことはできない。それは「キューちゃん」という名前のついた、車以上の存在だったのかもしれない。

そもそも車というのは日常で触れる機械の中でもかなり特別だ。洗濯機を買い替えることになっても、これほど心に穴の空いたような気持ちにはならないと思う。私たちがキューちゃんに乗っている間は、キューちゃんに“命ごと”自分を預けているわけだから、ある意味この間には信頼関係のようなものが働いているように思う(もちろん運転するのは人間なのだが)。

12年間、無事キューちゃんは大きな怪我をすることなく、とても綺麗な状態で、突然我々の暮らしから姿を消すことになった。外面からはわからない、内面の劣化が激しかった。

思い返すと最近かなり不調な時が多かった。エンジンをかけても応答がない時もあったし、交差点のど真ん中で突然スピードがガタ落ちするというめちゃくちゃ危ないこともあった。そりゃそうだ。何度も言うが12年お世話になったから。足し算を学んでいた人間がグラフを回転させてできる立体の体積を求められるようになるほどの歳月だ。

キューちゃんを手放すことが決まって家族は悲しいムードだったが、正直なところ、私は100%悲しむことができなかった。多分、イメージができなかったんだと思う。常にそこにあった車が突然別の車に変わるという事実が。

そんな感じでいざキューちゃんを手放す金曜日の朝になってしまった。学校に行く前にガレージを通ると、いつものようにキューちゃんがいる。そこで私は初めて100%の寂しさに襲われた。私が学校に行っている間に納車らしいから、これがキューちゃんを見る最後の瞬間になってしまう。12年間見続けたきたものの最後。何となく触ってみたりした。冷たい。でもここからどうしたらいいのかわからない。今自分はここまで積み重ねてきたこの車との思い出をどうやったら精算できる?

少し迷って、私は「ありがとう」とキューちゃんに言ってその場を去った。これが多分最大限だったんだと思う。ここまでの思い出とはまるで釣り合わない一言だが、後悔はなかった。

人間とは都合がいいもので、そこから学校に着くまでの間、いろいろな思い出が脳裏をよぎってくる。どれだけ遠い場所に行っても、車の中だと安心できる、まるで動く家のような存在。そういう意味では、これも一種の引っ越しなのかもしれない。やはり、機械と一言で切り捨てるにはあまりにも異質な存在すぎる。

家に帰ってLINEを見ると、キューちゃんはあっさり納車され、新しい車であるNOTEの写真が家族LINEに上がっていた。どれだけ思い入れがあっても、それとは無関係に引き渡された。ここはとても機械だなーと思った。まさか12年間一緒だった存在への最後の印象が「機械だなー」になるとは自分でも思っていなかった。

その夜、塾の帰りに父親が「せっかくだからNOTEで迎えに行こうか?」と言ってくれたのでそれに甘え、ここからしばらくお世話になる車と対面し、初めて乗った。

友達のお母さんが車に乗せてくれた感覚だった。別の人の日常であろうその場所に、無理やり体を捩じ込むような感覚。

イスはキューちゃんほど柔らかくはなかったが、なんかすごいモニターがあるし、ドラレコもついているし、あの未だに原理がわからない車を上から見たアングルのカメラもついている。結構最近はスタンダードだけど、なんせキューちゃんは12年前に買ったのでついてなかった。そんなこんなをひと通り見せてもらい、車を降りた。青からガラッと変わってグレー。車の屋根にはラジオ受信用のアンテナらしきものがサメの背びれのようについていた。

そもそも新車をこの車にすると決まったのは、実は私も少し絡んでいて、次に買う車はもしかしたら私が免許を取ったときの練習用になるのではないか、という前提があったからである。それなら運転するのがそこまで難しくない車がいいのではないか、そういうわけでNOTEが選ばれた。

そのため、初めてNOTEに乗ったときに私は変な感覚だった。極めて近い将来、私がこの右のポジションを奪ってハンドルを握ることになるのだろうか。いや、多分なる。運転免許はかなり早めに取っておきたいと思っているから。

ここから果たして何年この車と共に生きていくことになるのだろうか。私が初めて運転する車になるかもしれないとなると、キューちゃんとはまた別のベクトルの思い入れが出てきそうだ。まだまだ友達の家の車の感じが拭いきれないけど、ここから、少しずつ、またいろんな思い出のそばにいてほしいな、と思う。


そういえば、まだキューちゃんのような愛称をつけていない。とりあえず、まずはそこから。








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