見出し画像

1ヶ月。

気付いたらnote を始めて1ヶ月が経っていた。
おめでとう、わたし。
三日坊主ではなかったですね。
誰に強制されるものでもないのだが、こういうものは一度サボるとそのまま忘れてしまう。
そうすると、再開が億劫になる。

note を始めたきっかけは、Twitterが終わりそうだったから。問題のTwitterの制限が一時的なものだと思ったら、今度はDM制限である。
個人的にはDMはあまり使わないので、問題ない。
ただ営業ツールとして使っている人は不便になるだろうなと思う。
わたしも本当に用事がある時に返事が来ないと困るかもしれない。けど、それならば遠回りしても別の方法で連絡するまでである。
ちょっとだけ距離が遠くなっちゃうな……と、かわいいことを一瞬考えた。が、わたしはそもそも用事がない時はDMを送らないことにしている。

なるべく、わたしに余分な時間をかけさせたくない。寂しさからついつい返信してしまいがちだったが、これで区切りがつくかもしれない。

課金すればいいのだろうが、お金を払ってまで使う価値があるのかと言われれば疑問である。
払いたい人は払えばいいけれど、お金をかけてTwitterをするのもなんだかしっくりこない。
顧客は無料のサービスにこそ、執着して声を上げる。今回の制限がいつまで続くのか、このままなのか。どちらにせよ、短期間でコロコロと方針を変えられるのは気に食わない。

まあ、連絡なんて取ろうと思ったらどうにでもなるし、ね?

*************************************************

随分と昔の話。
ずっとメールで連絡を取っていた人と数年間、音信不通になっていた。
当時、わたしは自宅のパソコンのアドレスしか持っていなかった。その後、独り暮らしを始めて携帯も持つようになったが、携帯メールでやり取りした記憶はない。
大学卒業とともに、連絡を取らなくなった気がする。途中、一度だけ再会した。たしか、先方が母校に帰ってきていて、わたしも妹を迎えに行くという体で会いに行ったのだ。
一緒にご飯を食べてバイバイして、また連絡を取らなくなった。とても好きだったのに不思議である。

それから何年も経って、急に会いたくなった。
ここで思い出して欲しい。
わたしはメンヘラネットストーカー気質である。

まず探し出すのは容易だった。
顔見知りだったので、ブログに非公開のコメントをした。ここで注意だが、「また会いたい」などと、どストレートに伝えてはいけない。あからさま過ぎると引かれる。「お久しぶりです。懐かしくてコメントしました。お元気そうで何よりです」のような簡単な内容だったと思う。その後、返信があり、新しい連絡先を手に入れることになる。なお、途中に幾つかのSNSを挟むことになるが、割とスムーズだった。
あくまで、わたしと先方が顔見知りだったからの手法だし、これで全部解決するわけではないが。
なんだかんだでどうにかなりますよ、というお話である。
自分で書き起こしていてもまあまあ気持ち悪いのでおすすめはしない。そもそも音信不通は良くない。わたしはすぐに音信不通になっちゃうけど。

こんなことを書くつもりは無かったのに、随分昔の事を思い出してしまった。
たまに元気かなと思って覗くことはあるが、もう二度と会わないだろう。

*************************************************

わたしは、Twitter が死んでしまっても、それはそれだと思っている。仕方ない。
さよなら、Twitter。好きだったよ……と、今まで連絡を絶ってきた人たちと同じように記憶の奥底に沈めるだけな気がする。

note はまだあまり使いこなせていないが、誰に話すでもない事をツラツラとメモしておくのには良いと思っている。わざわざ探して来ないと読めないのも難易度が高くて好きである。
とりあえず1ヶ月続けたので、気が向いたらもう少し真面目に文字を書こうと思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?