過去のしがらみとわたし。

「もう8月も終わりますよ」
店長がわたしに言った。
そうですね。今年もあっという間に終わりますね。

8月であれば、まだ今年もたくさん残っている気がした。9月になると、途端に残り少ない気がしてくる。

毎年、なんとなく過ごしてなんとなく1年が終わっていた。歳を取るのは早いなと思っていた。

今は時間が経つのが少し寂しい。
リミットがあるわけではない。
わたしの生活が変わっても、わたしが今まで通り頑張れば何も変わらない。
漠然とした不安、生理前の情緒不安定、過労からの体調不良……いろいろなことが重なって「もしかしてまた要らないって言われるのでは」と、ネガティブになっていた。

つい、独り言をつぶやいた。
見てないかもな、と思っていた。
言わなくても良かったのに文字にしたのは、やっぱり見つけて欲しかったからかもしれない。

構ってちゃんみたいなことはしたくないし、「そんなことないよ」って言わせるのは嫌だったはずなのに。答えの選択肢が多くないのは分かっている。 

「どうしてあんなこと書いたの」
わざと怒らせたと思われても仕方ない。
疑ったわけでもない。
誰よりも信じている。
わたしがわたしで生み出した闇なので誰のせいでもないのだ。
あなたは悪くないよ。

お互い別の種類の不安を抱えていて、お互いに怯えている。「そんなこと言うと要らないよ」って、言われなくて良かった。

こんな風に思ってしまうのは、今も心の奥底にしまい込んでいる過去のわたしのせいなのだ。
きっと。
未練も後悔もないし、もう好きでも何でもない。
ほぼ忘れているのに、たまに急に顔を出す。

たぶん、不完全燃焼だったから。
急に冷めて面倒になって、放り出したから。

だから、消化不良のまま心の底に沈んでいる。

早くどこかに捨てたい。忘れたい。
でも楽しかった思い出もある。
大好きだった。
初めてやり取りしたメールはまだ消せないでいる。
最後、わたしから別れを告げる時に「もう要らないみたいだから会わない」と言った。
「要らないわけじゃないけどね」と返ってきたのを覚えている。
そのまま強制終了させたのだけれど、この思い出のせいで「必要とされること」に敏感である。

ひとつ後悔があるならば、もっと全力で我儘を言って甘えれば良かった。
なんでも「いいよ」の返事で、相手の都合に合わせて、ただの都合のいい待つ身の女だった。
嫌な事は嫌って言えば良かった。

今、わたしが拗らせているのは恋愛感情ではない。
でも、愛情である。
大好きだし大切にしたい。
今度はきちんと心が離れないようにしたいと思っている。

でも、怒った顔も可愛かった。
怒ってるのに酷くしきれなくて、なんだか優しい。
また大きな手で頭を撫でてほしいけど、あまり可愛くないことばかり言うと嫌われるのでやめよう。



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