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悪意とは

大人になっても、悪口・陰口をたたく人はいる。
老若男女関わらず。
先日も仕事終わりの夜中に、ちょっとした諍いが起こっていた。
大人同士のことなので、余程の必要が無い限りは間に入らないことにしている。
場合によっては店長に報告を上げるけれども、わたしも店長も「そういう事があった」という事実を共有するだけである。
あまりに酷い場合のみ、お呼び出しとなる。

その日は、「注意してあげた人」と「注意された人」だった。注意された人は元々落ち込んでおり、「今日はうまくいきませんでした」と溢していた。
わたしから見て特に気になる事はなかったため、気休めではなく「そんなことないと思うけど。でも、そんな風に思っちゃう日もあるよね」と話していた。

漏れ聞こえる会話を聞きながら、「なんでそんな事言っちゃうのかな」と思っていた。
「注意してあげた人」だって完璧ではないのに。

なぜ。急に。神にでもなったのだろうか。

案の定、翌日にはちょっとした騒ぎになる。
わたしが言うまでもなく、「注意された人」がSVと店長に連絡をした。
辞める・辞めないの騒ぎ。

休み明けに出勤すると、疲れた顔の店長がいた。
経緯を話しながら、ふと思った。

「いったい、どんなつもりで言ったんでしょうね?」

悪意があったのか、なかったのか。
どんなつもりだったのか。
傷付けてやろうと思ったのか、そうではないのか。

よく「悪気はなかった」と言う人がいる。
個人的な意見だが、悪気がなければ許されるわけではない。悪気がない、無邪気な悪意のほうがタチが悪い。
傷付けてやろう!と思って何かする方が、納得はいく。「あなたのために」とか「普通におしゃべりしただけなのに」という人の方が怖い。
ああ、人の気持ちが分からないんだなと思う。
わたしのために何かしてくれなくていいので、お気遣いなく。

口は災いの元。
言霊。

一度口から出た言葉は飲み込めない。
文字だって消して終わりではない。

もう少し、考えてから自分の外に出してはどうだろうか。その言葉は、どうしても今、言わなくてはいけないのか。

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