「都合の良い友達」という二重表現

非常にまとまらない内省が以下に続きます。

題名にある「二重表現」とは「頭痛が痛い」や「犯罪を犯す」みたいなもので、同じ意味の言葉を繰り返し使う事です。

「都合の良い友達」も二重表現ではないか、と考えました。
こう思ったきっかけは、先日「お前は友達を都合よく使っている」と言われたことです。否定も肯定も出来ないな、とその時は考えていたのですが、よくよく考えたら「友達とはそういうものだろ」と思い立ちました。

もちろん一般的に用いられるような、お金や車、体を出してもらうためだけの「都合の良さ」ではないです。
しかし自分の欲を満たすと言う点では、友達は「都合が良い」と言っても差し支えないと思います。
例えば「○○と~~に行きたいな」と思うとします。なぜ一人ではダメなのでしょう。なぜわざわざ友達を誘って目当ての場所に行くのでしょう。それは多くの場合、「その人と一緒だと楽しそうだから」という、自分の利益になりそうだという思惑があると思います。
他にも「ちょっと話したいから電話したいな」となる時があったとしましょう。もしくは相談をしたい、とかも。それも結局「話を聞いてほしい」、「悩みを解決したい」という私欲があるから友達をその道具に用いるのだと思います。

ですがそれは悪いことではないと思います。もしも自分がその友達側に立ったとします。「話したくて電話しちゃった」「実は今好きな人がいて…」「今度~~に行かない?」と連絡が来たら、「貴方の交友関係の中からわざわざ自分を選んでくれたんだ」と嬉しくなります。

お互いがお互いを利用している関係、それこそ「友達」だと思います。片方が利用しているようなら「都合の良い関係」でしょう。

新明解国語辞典第八版には「一緒に何かをしたり遊んだりして、気持の通い合っている人」と説明があります。しかしそれでは説明がつかない要素も「友達」には含まれていると思います。

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