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めんどくさい と ヒマ の悪魔 ーー 中国についての所感

中国に行き、かつての日本はきっとこんなところだったんだろうと、なんとなく思った。「爆買い」なんて、かつては日本人の代名詞だったのだ。テクノロジーは発達し、公安が目を光らせる管理社会だけど、そんな息苦しさはなく、人人は公安と談笑し、メラメラと日常を生き、あちこちで一人分の狼煙をあげている。それはときたま、裏寂れた日本の商店街でもかろうじて見ることができて、看板の禿げた喫茶店の中、ギリギリ保たれた老人サロンなんかに、あの時代の汚さと情熱の残り香がある。でもちょっとヨボヨボすぎるね。
街に人が多いのはやはり活力の湧くことで、それも他所からのあれこれでごった返すというよりは、そこに住む人々で賑うっていう街の活力に、自然と元気をもらう。哈爾濱の中央大街は、まさに人人の生きる喜びに溢れていて、日本の商店街もこんなんだったら楽しいだろうな。ある程度の汚さと、情熱で、メラメラと。

帰国したとき、どうにも認めざるを得なかった。豊かさとはなにか、と考えざるを得なかった。


「汚い」っていうのは、街のそこかしこにゴミ箱があって、そこに露店の串やペットボトルがきちんと溢れて、タバコが道端に捨てられてるっていうことだ。「汚い」の、褒められたもんじゃない。でもあんまりクリーンなのって浄化された老人の生活を思わせて、不安になる。病院みたいで。
「汚い」ってなんでしょうね。頑張って取り除いて、すると道路は移動するための場所になって、逆に「飲み食いはこのエリアで」っていうお利口さんのスペースもできて、ええ確かにキレイになりました。おかげさまで随分と歩きやすくなりました。
疲れた街が、ゴミなんてみたくないから、はじめからゴミがでない仕組みをつくって楽しようとすると、ストレスレスになって、ほらやっぱりよかったね。露店とか、疲れるからやめましょう。テロがおこるかもって、心配しなきゃいけないの疲れるし、やめましょう。タバコなんて諍いが絶えませんし、疲れるから悪いことにしましょうね。ほら疲れるから。疲れるの、人間っていちばん嫌いでしょう? なるべく楽したいもんね。
病院ってバリアフリーで、楽ですね。でも変なことしちゃいけませんよ。どうして廊下でウロウロしてるの? もしもし、やめてください、そういうの、不安になるし、疲れるから。くれぐれも変なことしないでね。もうみんな疲れてるから、目的地までスムーズにいけるようにね。え? 退屈ですか? 


レヴィナスがどこかで言ってたかなあ、存在をよくよくあらわす実存様態。疲労と倦怠。つまり怠惰。このモンスターは、どれだけ喰らっても尽きることなく成長する。そして究極的に、「なにもしたくない」、ということ。レヴィナスにとっては確か、存在することの拒否=怠惰だった。ボクらはどこまでも休もうとして、楽になろうとして、いくとこまでいけば存在したくなくなって、自殺とかいうつもりはないけど、とりあえず無になりたいです、なんてさ。存在するの拒否します、死にたいわけじゃありません、無になりたいんです、なんてさ。
そこで鎌首をもたげて、不思議そうにボクらを見つめているもう1匹の大喰らい。極めて純朴に、てらてらと濡れた瞳はすいこまれそう。退屈が、「生きろ」なんて言いません、ただ「塗れ」とせっつく。暇を塗れ。時間という空白を塗れ。あ、ヤバい。YouTube、見ます。NETFLIX、見ます。なにもしたくないですから。でも、暇はヤバすぎるんで。やっぱ植物になる気はないんで。人生っていうゲームはさあ、要するに暇つぶしなんだよね。なるべく楽しく過ごしたいんで。でも楽したいんで。厳しいのはいやなんで。だけどつまんないのは許せないんで。ああちょっと、奈落みえてきました。とりあえず横になって、スマホつけて、だんだんベッドに根がはっていって。


センセイに中国の生きるエネルギーの話をした。曰くアメリカも今では陰っているらしい。単に経済成長という話ではない。国家が暴かれてしまった、人人が利口になりすぎたのだ。「やっぱり中国だね、それにインド」


ナショナリズムは悪だろうか? 信仰は悪だろうか? 共産党は見事に統制している。そして人人は生きている。エネルギーがみなぎった、問答無用の人口の暴力をもって。
ゆるやかに監視しあって、目がこわくなって、結局動けなくなりそうなあなたへ、中国大陸をオススメします。彼らも2008以来、相当に民度が上がって、徐徐に壊れていくのでしょうか。

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