闘病記3(回復期病院での葛藤)
急性期病院での毎晩の戦いに終止符を打ちたいのと、早く、本格的なリハビリをしたい気持ちから、家族が調べてくれた中で、一番厳しいと言われている、回復期病院を選択し、そこに転院した。
転院初日、担当のSTの先生が、どうしたいと聞くので、どんなに、大変でもいいので、とにかく早く良くなりたい、といった覚えがあり、先生も、厳しく行きますよ、なんて言ってくれたと思うのだが、ついぞ、僕の感覚的に、こんなに厳しいのかと思うことは無かった。
リハビリが始まり、だんだん病院の様子も分かってきて、、病棟の談話室にも、平行棒があったので、自主トレをやりたいとSTの先生に伝えたのだが、
その時は、分からなかったが、病棟での決定権は、看護師側にあるようなので、看護師がOK出さないと、病棟の平行棒は使うことは出来ない。
けっこう、早い段階で、杖では、歩行が行えていたので、STの先生は、わざと、歩行練習で、病棟のナースセンターの周りを歩ったりして、この人は、こんだけ動けるんだよって、デモしたりしてくれたけれども、自主トレが許可されることは無かった。
そうすると、一日、大半をベットの上で過ごすことになり、もう、携帯電話や、PCなどのツールは使えていて、今は、情報が溢れている時代なので、色んなリハビリの情報は入ってくるので、気ばっかり焦ってしまう。
それに、PCが使えるようになったことにより、どんどん、仕事のことも気になりだしで、精神的に落ち着いてリハビリが行えないようになってしまっていた。
本当に時期も悪かったのだと思う、世の中コロナ真っ盛りで、面会がいっさい出来ず、もっと、面会などが普通に出来ていれば、会社や家族、友人とのコンタクトももっととれていたと思うし、そうすれば、僕の精神面も、違っていたかもしれない。
しかし、そうはいかず。
当初、リハビリの先生も精神的に落ち込まないのかとか、よく聞かれたが、僕は、少しも落ち込むこともなく、何故か、根拠の無い自信で、直ぐ良くなると確信していて、会社に復帰することしか考えてなく。
逆に、それが良くなかったかもしれないが、とにかく気が焦り、ものすごく、頑張っていたんだと思う。
もっとリハビリがしたい、自主トレがしたい、でも自分が思うように出来ないという葛藤で、今になって思えば、それで、どんどん、焦る気持が強くなっていってしまって、自分を追い込んで行ってしまったのかもしれないと思が、その時は分からなかった。
結局、僕は、それに、耐え切れず、早期退院を選択し自費リハと訪問リハと自主トレを中心に、その時点で、出来る仕事はやりながら、リハビリを進めていったが、色んなリハビリを経験した今なら、この選択が、良くなかったということは分かるが、この時は、こうすることでしか、自分を保てなかったんだと思う。
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