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わたしの熱帯 -寓話的な観測-

 これはある虎のお話です。
 
 その虎は今になっては遠い昔、遠い国のお姫様のもとにいました。
 お姫さまはたいへん美しく賢い人でした。
 王様のもとに仕えています。
 二人の間には儀式のようなものがありました。
 夜毎、眠る前にお姫さまが王様にお話を語るのです。
 毎晩です。
 もし語らなかったらどうなるのでしょう。
 
 王様はお姫さまを処刑してしまうのです。
 
 このお姫様だけではありません。
 今までこの王様に召された女の人はみな次の朝には処刑されていたのです。
 その残虐さは国中に知れ渡っていました。
 国中の娘たち、娘を持つ親たちが怯えたのは言うまでもありません。
 誰も王様を止めることなんてできませんでした。
 そんな中この賢いお姫さまが夜の相手を名乗り出たのです。
 
 彼女も黙っていれば他の娘たちと同じように明くる日には処刑されたことでしょう。
 しかし彼女には策がありました。
 物語を語る才があったのです。
 それは子どもの頃から周りの人の言葉に耳を傾け、眠る前に想像を膨らませたことで培われたのかもしれません。あるいは話好きの乳母でもいたのでしょうか。彼女の頭の中には心躍るお話がいつも溢れんばかりに詰まっていたのです。
 
 彼女は毎晩それを王様に語りました。
 たくみに話が決して終わらないようにです。
 そして王様はお姫さまの話の続きが聞きたくて彼女を生かし続けました。
 
 お姫さまは朝日の美しさをこれまで以上に感じながら毎日を過ごしました。
 彼女の話に耳を傾ける王様は楽しげでまるで子どものようにも思えます。
 最愛の王妃に裏切られた心の傷もいつか癒えるようになるのでしょうか。
 残虐な心もいつか消えてなくなるのでしょうか。
 姫は王もそれを望んでいるのではないのだろうかと思えるようにすらなってきたのです。
 
 この日々が永遠に続けばいいのに。
 けれどー
 
 無限に続くと思われた想像も時が経つごとにだんだん思うようには溢れ出してはこなくなってしまいました。
 お姫様は困りました。
 これでは明日にでも王様に処刑されてしまいます。
 それは嫌でした。
 殺される恐怖もありましたが、それ以上にー。
 
 それでお姫さまは旅の商人を呼ぶことにしました。
 終わることのない物語を託すためにです。
 選ばれた彼は世界中を船で旅をしていたので最適だと思えました。
 これからはお姫さまから託された物語ーそう、これから虎と呼ぶことにしますー彼を友にして長い長い旅に出ることになったのです。
 
 ここからは虎の旅になります。
 虎は商人たちの手から手に移り、少しずつ大きくなって旅を続けました。
 時には僧侶と一緒に広大な砂漠を歩いたこともあります。
 そこで織りなす出来事が彼を色濃く力強くしていくのを彼自身も感じていました。
 東へ東へ、どれだけ彷徨い続けたのでしょうか。
 
 虎はとある日本人に渡されました。
 その日本人は虎をきれいな木箱に入れて大切に保管しようと思いました。
 その中でおとなしく次の主人に出会うのを待たせたのです。
 
 けれど虎が目を覚ましたとき、そこはなぜか無人島でした。
 箱の中にいた時は外は冬の気配で雪が降っていたのは憶えています。
 一体ここはどこなのでしょう。
 照りつける太陽に果てしのない海に浮かんでは消える島たち。
 何度も何度も深く海を潜り遺跡のような発掘を繰り返す毎日。
 
 虎は気づきました。
 ははあ、この男は今までの男たちと違ってこの俺を大きくさせる記憶がないから困っているのだなとそう思いました。
 自分の今までの生きてきた思い出を深い海を潜るように掘り起こしてなんとか俺を大きくしようとしているのだろうと見守ることにしたのです。
 虎から見たらそうだったのかもしれません。
 ただ今度の虎を手に入れた男は本当は何故こうなったのかすらも思い出せず、なんとか無人島から出る術を自分の記憶から見つけようとしていただけだったのです。
 それはとても困難でした。
 なにしろ虎から教えられたヒントが少なすぎたのです。
 
 何故少なかったのでしょう。
 今までの主人はそれまでの虎の全てを受け継いできました。
 なのにこの無人島の男はなぜこんなにも片言のような言葉の切れ端に迷わされているのでしょうか。
 男は果てしのないような時間の迷宮の中でやっと思い出しました。
 彼は前任者からきちんと託されたわけではなかったのです。
 
 彼は盗人でした。
 前任者がカードにして小さくしていた虎たちを勝手に盗んだのです。
 
 全てを思い出した男は記憶の迷路を抜け出して前任者に会いに行きました。
 そして正当に受け継ぐことによって本当の虎と向き合い、ついに書き上げたのです。
 最後の別れ際に彼は虎に名前をつけました。
 その名前はー
 
 その後何人かの手を渡り形を変えた彼を私はいま手元に置いています。
 
 最後の語り手が誰だったのかは少し気になっています。
 それがこの原作者であったのなら虎はすべてを超えて姫の元に還ったことでしょう。
 姫は彼を語り続け、凍てついた王の心をとかすことができたはずです。
 花の咲き乱れる宮殿でいつまでも幸せに暮らせたのでしょうか。
 
 でもふと気になることもあるのです。
 
 だっておおよそ虎には見えない捨て猫のような貧弱な生き物がずっと私を見つめているものですから。
 最近になってそれがやはり虎であることに気づきました。
 
 虎すなわち『文字の獣』
 
 ですから私も門を叩いてみることにしたのです。
 
 これが私の熱帯です。
 
 
 

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