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團菊祭五月大歌舞伎(令和5年5月2日~27日 10日、17日休演日) 予習


團菊祭五月大歌舞伎チラシ

「團菊祭」とは


「團菊祭」とは、9世市川團十郎と5世尾上菊五郎をしのぶ歌舞伎興行のことをいいます。
昭和11年からだいたい4、5月をそれにあてているそうです。二人の当たり狂言を主に、幹部俳優が揃う華やかな舞台です。

【昼の部】

昼の部は11時開演です。

寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)

曽我物の代表的作品。ただ「対面」とも言います。型の集大成みたいな一幕で、これができなければ歌舞伎役者じゃないと私は思います。
話は単純ですが、とにかくすべてが「型」でできているので、初めはつまらなく感じるかもしれないけれど、何度も見ていると、上手い下手がなんとなくわかるようになります。
また華やかな舞台なので、見た目は話が分からなくても楽しめます。

若き日の信長

作家の大佛次郎が11世市川團十郎のために書いた脚本です。11世市川團十郎というのは今の團十郎のおじいさんにあたります。昭和27年初演。

音菊眞秀若武者(おとにきくまことのわかむしゃ)

寺島しのぶさんの息子さんの眞秀くんが「尾上眞秀」としてデビューするので、そのお祝いの演目です。

【夜の部】

夜の部は16時開演です。

宮島のだんまり

文久2年(1862)初演。
「だんまり」とは、歌舞伎の演出の一種で、暗闇の中で黙って探り合う様子を演じるもの。現代人には想像がつかないのですが、江戸時代などは街灯もないし、夜は本当に月明りしかなかったわけで、新月だったら何の明かりもなく、夜動くのは探りながらでないと何も見えなかったわけです。だから何かにぶつからないように手探りで、歩くのもゆっくりになります。わざとスローモーションでおおげさにやっていると思うので、江戸時代からスローモーションの手法は歌舞伎にはあったのだなと思います。
だいたい、だんまりの時は、宝物を間違って取っていったり、刀を取り違えたりと事件になることが多いです。
歌舞伎初心者の人は見ていると、手が顔に当たったり、男と女を間違えたりと今なら考えられないことをしているので、笑いが起きたりしますが、実際の明かりが何もない状態を想像できないからだと思います。当時は暗闇は本当に何の見分けもつかないほど真っ暗だったと思いますし、月明りは本当にありがたかったと思います。

達陀(だったん)

萩原雪夫作。
「春を呼ぶ二月堂お水取り」と書いてあります。
お水取りの達陀の行は有名で、燃える松明をもって走るのが一番有名でしょう。
歌舞伎の達陀は、お水取りの達陀を歌舞伎舞踊化したいということで、三世尾上松緑(初代辰之助)が発案し、初演したそうです。チラシには4場と書いてありますが、どんな舞踊なんでしょう。興味あります。

梅雨小袖昔八丈 髪結新三(つゆこそでむかしはちじょう かみゆいしんざ)

河竹黙阿弥作。明治6年(1873)初演。
世話物なので、時代物とちがって、お家転覆を狙うとか、そういう大悪党は出てこないけれど、庶民の小悪党のお話。でもやってることひどいですけどね。金欲しさ、女欲しさに、ってやつですね。

さすが團菊祭、面白い演目が揃っていますね。髪結新三を菊之助くんがやるのがちょっと楽しみです。

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