修羅場だった介護認定面談

一年前の介護認定の面談は、思い出すのも辛い記憶だ

調査員は女性
話し方は柔らかく、雑談の延長のように自然に質問を投げかけてきた

この時の母はトイレ問題が解消しつつあり、面談にもシャキッとして臨んでいた
面談の雰囲気も和やかだった
私も妹も、質問の回答は母に任せ、余計な口出しはしないと決めていた

質問は生活全般について。
好きな事はなんですか?
寝る時間は?夜中に起きますか?
朝昼晩、おやつは食べますか?
着替えは自分でできますか?
などなど

質問に答える母は所々話を盛っていた
見栄だったのか、本人の認識がそうだったのか。

一人で買物にいけます(私・妹?!)毎朝朝食作ってます(?!妹が持っていっている)
ゴミも自分で出してます(?!私がゴミ出し)
・・・・

妹と視線を合わす回数が増えてくる
母自身も話しながら、「やっていないな」と気づいてきたのかもしれない。

入浴の頻度を聞かれ黙ってしまった
助け舟のつもりで、私が最近は週一回、と答えたところで、母は泣き出してしまった
顔を覆って、「あれもこれもできないって言う、、、頑張っているのに」

場は静まり、母の嗚咽のみ
ティッシュを渡したり、励ましたりしたけど、5分位泣いていたでしょうか
それでも来客を置いて席を立たなかったのはまだ理性が残っていたのか。

調査員、サポートセンターの人は何も言わず
少し経って私達にどんな介護を希望するか聞いて面談は後味悪く終りました

玄関へ見送った私に調査員は、母に聞ける状態ではないので、といくつか残りの質問して帰っていきました

母は布団へ

私達は母に辛い思いをさせてしまったと動揺していましたが、サポートセンターの方は、老いを直視し自分の現状を認識するのは大事なこと、と良かった様な口ぶり

昼寝をした半日後、母は面談の事を殆ど覚えていなかった
訪問者があり、泣いた事は覚えていたが、なんで来訪したのか、なぜ泣いたのか、思い出せないという

このまま認知症が出てしまうのではと、本当に肝を冷やした日でした

面談のことは今も覚えていないと思う
辛いことから自分のメンタルを守る自衛の症状かも、と思っています

母は要介護1の認定

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