政治・経済・社会
日本国憲法第25条
①すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
現状況ではこの憲法25条は守られていません。
憲法は何のために存在しているのか?
もちろん為政者のためだ。為政者が国民の生活を守る義務があるのだ。
が、この国には最低限度の生活さえままならぬ人がいる。
国はどうしてこのような人たちを放置するのか?
一つにはその生活に甘んずる人たちがいるということだ。
「乞食も三日すれば忘れられぬ」
そうだ。
その意味は、乞食の暮らしは気楽で、その味を覚えたらやめられない。
また、乞食のような取り柄のないことでも、
習慣になるとやめる気にならない。
習慣とは恐ろしいことのたとえ。
私は子どもの頃、この乞食をしていた人を見たことがある。
そして子ども心に「こういう生活はしたくない」と思ったものだ。
だから、貧乏になることを恐れた。
しかし、ものは考えようなのかもしれない。
というのは、こういうことわざがあるからだ。
「乞食に貧乏無し」というものだ。
その意味は乞食にまで落ちぶれれば、これ以上貧乏になることはない。
そう言われればそれもそうだと頷かねばならぬ。
が、それは乞食からの視線であり、
通常の生活者から見れば理解できないことである。
ということは、
人間社会そのものがそのような構造になっているように思う。
「下を見れば後がなく、上を見ればキリが無い」
ということだろう。
が、人間の欲望は深く、どうしても上を目指してしまうものだ。
「上がれば落ちる」は自然の法則であるから、
落ちないように歯止めが必要である。
要は、歯止めの掛け方なのかもしれない。
つまりは、自分の最低を知ることが先決である。
だから、
私は、
日本国憲法の第25条のいう健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を主張
する。
だから、
日本に米軍基地が存在していることはとても文化的とは言えない。
だから、私は日本在留の米軍基地の撤去を求める。
そのための政治活動を今日から開始する。
なぜならば、国民生活を左右させるものは政治だからである。
私は今の政治にはとても合点がいかない。
その理由はただ一つ、支援してきた「社会党」が消滅したからだ。
私を守りつづけた党が消滅したということは、
この先私を守ってくれるものがないということになる。
だから、私は私を守ってくれる政党を見つけなければならぬのである。
もし、その政党が見つからない場合は自分で作るしかない。
では、本日も素敵な一日をお過ごしください。
今日もよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます😊
➿今日の一言➿
戦争には決断、
勝利には寛仁
敗北には闘魂、
平和には善意
〈チャーチル〉