初心にかえる

昨日、他人の二次創作が書けなくなった話を書いた。そこで、交流アカウントを捨てて壁打ち運用を始めた、と書いたのだが今日はそれについて話す。

私が壁打ちを初めて3日ほど経つ。
フォロワーは一人増えた。ただ、凍結してるのか制限かかっているのか、押したらフォロワーいませんと出る。ので、0ということにしよう。
フォローしないとシャドバン食らうかもしれないので、ゲームの公式アカウントのみフォロー。今はしてないが、新イベとかのツイートに♡を残して交流しているとTwitter側に認識させてBAN逃れしようと考えている。

誰にも告げずアカウント作成した。
毒マロ飛んできたし、その相手がフォロワーにいたからだ。
「あなたなんていらない。迷惑」と言われた。正直堪える。
ずっと暖かな界隈だと思っていたが実情は違く単なる互助会。
いいねもRTも、その界隈の大手が認める解釈認める人間のみされる、地獄の場所だった。

ただ、壁打ち転生した後。それでも私の作品に反応をくれた人がいた。初期から私の作品を見てくれて、私がこの界隈に入るきっかけになった人。絵描きでカプなしワンドロで可愛らしい絵を描く、メインカプは攻め違いの人だった。その人はいいねのみで主張するのが苦手、と言っていた。澪華さんの作品好きです、でも言葉にするのが苦手で上手く言えなくて伝わらないかもだけど、何度も見てます。
この言葉を繋がった時に残してくれた。
だからこそ、こっそりいなくなっても見つけてくれて反応を残してくれたことが嬉しかった。と、同時に申し訳なさもあった。それでも前のアカウントに戻る気になれなくて、ずっと応援してくれてありがとう、好きって思ってくれてありがとうと思うことしか出来なかった。

この時、改めて思ったことがある。
「本当に好きな人は声をあげない」
私が辛い時もそっと寄り添ってくれる人がいる。それがどれだけありがたいのか、ということを身に染みて感じた。
もちろん辛い時に声をかけるのも大事だし、常に好きと発信することも大事。だが、それが全てではないということだ。声なき声も存在する。

静かに一軒家を立ててそこでのんびり壁打ちをしつつも、私を支えてくれた人のことは忘れないでいようと思う。
いいねが1しかつかなくなったが、その重みは単純な物差し以上の価値があるのだから。

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