エンゼルギア2nd考察:提議レポート序



前書き

 これは「エンゼルギア天使大戦TRPGThe2ndEdition」というTRPGシステム、その世界観や登場キャラクター周りについての考察です。
この文中においてのシステム説明や固有名詞の補足は最低限のものであり、
「すでに知っている、遊んだことがある」人向けのニッチな記事であることを承知の上で、興味のある方のみ、どうかお付き合い頂ければ幸いです。

何故、このシステムの考察をするのか?

 本文は、エンゼルギアについての解釈と空想を推し進め、卓の参考とするためのものである。
このシステムは半ば強制的に公式NPCとの「絡み」を要求される。
そこがとっつきにくい、やりづらいという意見も否定するところではないし、あくまでも公式に立脚したキャンペーンを行おうという場合にも、様々な課題が残る。
 だが、そもそもこのルールブックは「読みやすさ」より「濃さ」を重視した構成に見える。
その素材をGMとして上手く料理し、一本筋の通ったキャンペーンを構成しようという際に…この設定とこのNPCはこのために存在するのだ、という、自分というGMなりにの理解を持つこと。これが本文の目的である。
 要するに、せっかくの公式設定を上手く使えるように、その運用法を考察したいということだ。
未だ草案であり、さらなる考察、具体的な結論の多様化、読みやすさを高める工夫は別に行いたい。

「終わり」が明示されているという独自性

 エンゼルギア2ndにおいては[基本ルールブック]で舞台となる世界の説明を行い、追加サプリ[エンドレスサマー]で物語のはじまりからおわりまでが提示される。
 だが[何故そうなるか]という点についてはGMに一任されているものが多い。奇跡でも起こらねば死亡が確定するNPCが[福音が発生した場合]どうなるのか、天使という敵性の元締めである[ラルフ・マスケンヴァル]の動機は何だったのか?
 何よりも主要な味方NPCの行く末である。彼ら彼女らは何を考え、どのような結果に至るのか?死ぬと明言されているキャラクターをそのまま殺してよいものか?
 既定路線をどこまで覆すことが[PCの介入した世界]として許されることなのか。 GMはNPCを通じてPCに関わる。そしてセッションの方向性を定めていくはずだ。そこにはGMとは別にNPCの意向も現れる。
特にハンドアウトを渡す場合は、同僚や上司となるNPCの立場の演出はしばしば行われるもの。
 NPCの理解がGMのセッション進行の一助になると信じ、それを深掘りするため、様々を記す。
今更だがネタバレ多く、物語に水を差す部分もあるかと思う。了承のもと読み進めて頂きたい。

※()内には参照文献を記す。数字のみ、または基本とつく場合は基本ルールブック、
ESとつく場合はサプリメント:エンドレスサマーを参照のこと。

公式シナリオが回避不可避の重要イベント

【帝都奪還】草薙・伊音
 なぜ帝都の奪還が急務なのか。ひとつは[八門結界]の構築に必須だからだ。だが、八門結界はすでに破られた経験を持ち、それを再構築しても時間稼ぎになるかも不明。
実際ESの巻末記載の[PCが関与せぬ場合のタイムスケジュール]に、
多くの犠牲を払って帝都を奪還したヤシマは、しかし戦況を打開することかなわず…再び八門結界を展開するものの、それ以上の有効打を見出すことはない。世界は合衆国の支配に飲み込まれ、教皇の野望を止める者は誰もいなくなる…という結果になると示唆されている。
 ふたつには、一定のNPCとES[帝都奪還]を読破したPLにおいては
[ホイシュレッケ]をヤシマ国内に生み出すため呪法弾道ミサイルの核として送り込まれた天使[アバドン]が帝都に居座っており、これを打倒せねばヤシマは内部から崩壊することになる、ということを知っているからだ。
 このシナリオフックに強く関わるNPCが[草薙・伊音]とその妹である[草薙・紫音]である。これに関わるNPCとして[維馬篭・代胤]そして[雛子・K・ガイスト]、[東雲・光子]も補足する。

[ES196/ES204理解のための家系図簡易まとめ]
??? × ??? = 維馬篭(兄) + 東雲 光子(妹)(どちらが兄か姉か不明)
維馬篭 × 東雲 光子 = NPC:雛子・K・ガイスト
??? × 東雲 光子 = [PC:雛子](雛子とダーザインを結ぶPC)。
 つまり雛子・K・ガイストと[PC:雛子]は同じ母親=東雲・光子を持ち、その兄が維馬篭・代胤となる。
[PC:伊音]が[PC:雛子]でもある場合、[PC:]に対して伊馬篭は激重感情を持つことになる(ES204)。
※[司鏡・紀央]も八門結界と帝都攻略に関わる(ES210)が、ES207以上の補足は難しい。
また1stも前提とすれば[PC:光子]の父親がラルフ・マスケンヴァルである可能性は高まる。

 実際の帝都奪還はES209に記載されているため、それまでのキャンペーンとしてのプロセスは
・[草薙・伊音]と[PC:草薙]の交流
→[草薙・紫音]なる存在の説明、場合によっては[伊馬篭・代胤]と[東雲・光子]と子どもたちの描写
・帝都のエーテル汚染の説明と想定される対策
(この高濃度エーテルは”構造体”の破壊により打破される。そこに至るまでは協力者が必要)
・帝都を奪還した後の方針。八門結界を回復するための人柱の扱いについて
あたりであろうか。
 この八門結界を再展開したとしても、PCが介入しなければ、ヤシマは敗戦し、世界は滅びる。
しかしこれはES216に掲載されたGMとPLにおける知識であり、
八門結界の再構築は多くのNPCが必要と主張するだろう。首都はエーテル的にも要所であり、おそらく人柱となる者はこれを司る役目も帯びている。
無しとする提案の採用は難しい。
それを伊音、紫音との交流を通じてPC、そのPLが望むようになれば、福音の成果次第でなんらかの奇跡により都合の良い結果が提示されることもあるだろう。
 ただし究極的な解決は「世界との契約」に託されることを考慮すれば、
例えば首都を占拠する天使[アバドン]を、一時的な人柱の代替とするなどに落ち着くか。

私の道具になりませんか?

【伊馬篭・代胤】かつての敵役
 伊馬篭の目的は天使の完全否定となろう。法王ラルフ・マスケンヴァルに妹を寝取られたからだ。
彼は天使とそれを肯定するもの、その存在証明である[PC:雛子]に生憎入り乱れた感情を振りまく。
東雲・光子はヤシマのために八門結界を維持した(基本33)。彼女の愛したヤシマを、伊馬篭もまた守りたいという意識を持ってはいるはずだ。しかしヴィヴィリオと目的は同じではない。
救世主候補たる[PC:草薙・伊音]に試練を与えるのも、死ねばそれまでと考える部分もあろう。
ヴィヴィリオほど救世主というものを信じてもいなければ、
救世主としての片鱗を見せたラルフ・マスケンヴァルと敵対し、対峙したことさえある(ES195)。
あくまでもシュネルギアにこだわるヴィヴィリオと、他の戦争解決法を模索する伊馬篭。
 (蛇足。ヴィヴィリオがシュネルギアにこだわるのは、二人乗りを必要とする兵器であるから…つまりは三位一体という様式になぞらえ、ギアドライバー/オペレーター/シュネルギアとすることで、ギアドライバーとオペレーターが救世主として覚醒する素地を高めようとしている、とする。
 ここにおいての根拠は乏しい。なぜシュネルギアは必要とされるのか?
天使に対抗するための唯一の兵器であることは当然だが、天使大戦は定められた発端があった。
多くの戦いや愛憎に対することで成長することが救世主の条件とはいえ、
そもそもがシュネルギアが必要とされる状況を作るために始められた戦争だった可能性すらある)
 伊馬篭は救世主を見た。それだけの力を発揮するラルフ・マスケンヴァルを知った。
だが自身が歪んだ愛情と執着を持つ対象の妹、光子と通じた彼に好感を抱いたとは思えない。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。彼が振るう救世主という力も素直に受け入れがたいものがあり、
そのために独自で自身の正当性の担保し、ヤシマを勝利に導く術を模索しているのだろう。

 帝都奪還においても、結界を貼れる術者とGMが判断したものに、PCは頼って良い。
プシナプシナはまだ小さいのでダメらしい。ES210に注釈があるが、この一文が愛嬌たっぷりだな。
あるいは伊馬篭の名がキャンペーン中にハンドアウトで見受けられた場合、
その力を彼のコネクションを当たる形で借り、人員を斡旋してもらうこともあるか。
 実家への復讐を果たしたというバックボーンを持つ伊馬篭は、そのための道具として妹さえ使った。
だが彼のパーソナリティは、このように人間臭い情報量を誇っている。
基本76に記載されているダーザインレベルを参照して可変するセリフにも、
「私の道具になりませんか?」なるものが存在する。確かに打算的で冷徹な側面の強い男だが、ダーザインのレベルは大多数が素直に好感度を現したものだ。元々エロゲ(エンゼルコア)でもあるし。
ともすれば彼は本気で好んだ相手を道具扱いして愛でるような僻があり、
その生育歴のために人間的なコミュニケーションの解釈が他者と違うだけなのではなかろうか。
 だが、彼を善人として扱え、と言いたいわけではない。その役割はヴィヴィリオが担うべきだろう。
それでも人間ドラマは対立から生まれる。多くの視点から多角的に描写される物語は深みがあり、情報量と尺の調整を果たし、つつがないセッションの進行を果たしつつも対立を描けばおそらくは魅力的なシナリオと称されるキャンペーン足りうるだろう。
 対立は「利害」「立場」「感情」の3点から発生することが多い。
同じ感情と共通の利益を持ちながら、立場からおおっぴらに協力することができない…。
立場と利害こそ一致しているが、感情的に気に入らない…。
ここにおいて、あらゆる立ち位置をこなすポテンシャルを秘めた多面的な存在が伊馬篭なのである。
彼を主軸に置いたハンドアウトを掘り下げることは、GMとしての工夫と楽しみの一助となるはずだ。

【エンゼルギアとしての結末】PCとNPCの逝く末

【エンゼルギアとしての結末】PCとNPCの行く末
 エンゼルギアの結末とは何か。PCから[救世主]を輩出することである。
では救世主とは何か。
それは[神]と[人間]の間にて交わされた[契約]を更新し[世界律]を書き換えることが出来る存在である。
順番に説明していこう。世界律とは天地のことわりのすべてを指す。
人間は空気がなければ生きていけないだとか、モノは高いところから低いところに落ちるだとか、あるいは人間は良心を持っているだとか、そのような規定のすべてが[律]であり、これを書き換えるとは、自らが望む世界を生み出せることに等しい。それが救世主の役割だ(ES195)。
 以下は補填…考察、妄想であるが。
この世界の製作者である神に、私はこのような世界を望みます…と述べた者がいた。2千年前の救世主である。エンゼルギアの世界が現実のパラレルワールドとされる所以は、現実ではなされなかった契約が、エンゼルギアという舞台においてはなされたから、別の歴史を辿った…ということになるだろう。
この世界の契約、その内容は何だったのか?それが世界の分岐点だったならば、我々の世界との差異となったものだったはずである。この最大の差異は、[天使]の存在である。
 現実に天使核はない。エンゼルギアの世界にはある。この分岐は前の救世主の契約にあった。先の救世主が、どのような契約を成したか。その結果として人類の血に天使のものが混ざった、という記述がこの論拠である(ES214)。
※「エンゼルコア」を前提とすれば、二千年前の救世主と通じたのが
『アラフニ=ナタンゾーン』である可能性も捨てきれない。
 であれば次の救世主、PCの命題として、天使なる存在を否定するか、肯定するか…これは避けることの難しい選択肢になるのではないだろうか。
 その命題を突きつけられるか、どのような選択を行うかはさておき、
PCが救世主となった場合、どのような未来のために現在の世界を書き換えるか…この世界を否定するのか?肯定するのか?は問われることとなるはずだ。


公式ナビゲーター達、その役割

 ここにおいて深掘りされるだろうNPCは多い。だがそれを導くに当たって不可欠な存在が[八坂・凍]、[セラピア・パルマコン]そして[ヴィヴィリオ]であろう。この三者は後述する。
特にヴィヴィリオは救世主を誕生させるべく、PCが所属する部隊[ドライクロイツ]を組織している。
その目的は救世主の誕生を促進することだが、意図と行動倫理を読み解くことは難しい。
だが彼女が「どのような救世主を望むか」あるいは「望まないのか」の描写を行うこと…そして他のNPCの理解とロールプレイの試みはセッションの楽しみを増加させ、エンゼルギアの理解と公式NPCの運用という点を補強し、GMとしての力量を高めてくれると信ずる。
少なくともヴィヴィリオは、シュネルギア、ギアドライバー、ナビゲーターの三位一体こそが、救世主を生み出す鍵になると直感しているのではないだろうか。
おそらくは【福音】と呼ばれる奇跡を目にしたこともあるのだろう。

【福音】システムに裏打ちされた、世界観の意図

肯定論

 では、エンゼルギアの現行世界は、否定されるべき悲しき現実なのか。
この文章の筆者においては、必ずしもそうではないと考える。
なぜか。それはエンゼルギアの物語は、愛と救いが欠かせないものとされているからだ。
その根拠は[福音]である。福音とは、ルール的には、これは100の達成値を出せば奇跡を起こせる、
というものだ。奇跡とは何か。望むものを具現化し適用する能力である。
つまりは[契約]の小規模な発生なのではないだろうか?
そもそも福音とは[神]/からの/[喜ばしい知らせ]なのである。これはキリスト教における定義だが、神の善意により、もたらされるものなのだ。
(蛇足。特殊なダーザインの記載方法[/からの/]も[神/からの/愛]を表したかったのかもね)
 達成値100というのは、ひとりのPCだけで果たせるものでは、なかなかない。複数の人間の協力によってのみ起こり得る、奇跡のような出来事なのである。
 神との契約者、救世主にはパートナーが必要という記載もある(ES195)。一人では成り得ない。
天佑神助、神は自ら助く者を助く。神はPC達の奮闘に喜びを感じ、それを愛し報酬を与える。
このように福音を表現すれば、神はPC達の行動を捉え、それに報酬を与えているのだ。
戦争という非人道的な環境で、自他の命は軽いという事実に直面し、
それでもなお他者を肯定してダーザインを結び、判定という行動を通して存在を証明する、
 ここにいる、というドイツ語が[ダーザイン]である。それにより発生する[オーギュメント]の力を借りて達成値を増大させ、福音を発生させる。
「それでもここ=戦場にいる」「明日をも知れぬ戦友との絆を昇華する」ことで発生する福音は、神が絆と闘争を尊び、人類の自助努力を愛している証左ではなかろうか。
 ダーザインは一定以上のレベルに上げるために、アガペーの上昇を要求する。アガペーとはデータ上、非人間性である。これが高まりすぎると、天使=PCの敵性存在となるのだ。だが[アガペー]とは本来、神のあまねく愛を指す。これが高まれば天使となるということは、天使もまた神に愛された存在である…それを暗示しているように思える。
天使もまた、この物質界で汚れた迷い子だ。彼らは天界に帰還したいと望んでいた(ES199)。
その願望を達成すべく、統一帝国の礎となった霊子学は発生した…ということが、ルールブックに記されている。
 また天使は人間を知りたいと望んでいることも同様に記されているが、
彼らは人間という不完全な存在が、神に愛されている理由を知りたがっているのだ(ES215)。
だがアガペーという字義に則れば、それに立脚する天使もまた、神に愛されているのである。
 アガペーなしにはダーザインなく、ダーザインがなくしてはオーギュメントはない。オーギュメントなくしては、福音の発生は難しい。
つまり愛なくしては絆なく、絆なくして結果なく、結果なくして奇跡なし。このように換言できよう。
エンゼルギアの世界は、愛と絆に立脚している。その愛は人と天使に遍く及んでいるのだ。
別記したいが、天使たるメタトロンも、その結論にたどり着いたのではないだろうか?
神との再契約により、人と天使の愛と絆を肯定するという選択をPCが担う…
そのような結果が公式の想定する1つ、その可能性はあるだろう。

否定論

 では世界の否定はありえないのか?それもまた違うはずだ。
なぜなら[救世主候補]は複数人存在し、PCの思想のアンチテーゼ、
真逆の結論を望む者も存在している可能性があるからだ。
その候補の一人、PCの敵対者が[ラルフ・マスケンヴァル]である。

【ラルフ・マスケンヴァル】とは?

 彼はエンゼルギアの前日譚である「エンゼルコア」の主人公であると想定され、2ndのルールブックだけで全貌は見えない。
その掘り下げの必要性は[セラピア・パルマコン]に集積される。彼女は彼の娘であるからだ。
これはあくまで想定であり(ES198)、1stの設定の一切を排除しても、2ndで成立は可能とはなる。
だが【エンゼルコア】の設定は【エンゼルギア】に完全に引き継がれているわけでもない。明確な答えの出ない補完となるのは、ご容赦頂きたい。
改めて、セラピア・パルマコンの母親は[“緑の聖母”エクリシア(基本31)]。
エクリシアはアラフニ・ナタンゾーンの娘であり、ラルフの姉ないしは妹であり(ES198)、”総統”の妹でもある。
 つまりセラピアは、合衆国で天使を牛耳る…ラスボスと、
その合衆国と対立していた「統一帝国」のトップの血脈なのである。
だが世界の敵であるラルフが父親であることを知り、それと対立することはセラピアの魅力の1つだ。
それを削ぎ落とすことは、あまりにも惜しい。そのように感じ補足説明を試みるものである。
 ラルフの行動倫理は明言されていない。それはPCとは違う道を取るためであると仮定する。
だがPCが世界を否定するならば、彼は世界を肯定する…となるようにも見えない。
ラルフはPCが世界を肯定するならば世界を否定し、PCが世界を否定するならば、また違った方法で世界を否定するのであろう。
この論拠は下記に考察を述べていく。
 なおPCがラルフと同じ道を選んだ場合はどうなるのか?
これはTRPGというゲームにおいては、メタ的に無価値となる。
その選択はPCの独自性を失わせ、ラルフの協力者に堕としめることになる。
それはそれで面白いが、救世主に自身がなりうるシステムでは、そういう物言いとなることは否めないだろう。
そのように誘導することは容易い。セラピアにラルフを肯定させ、PCを誘導すればよいのだ。
だがセラピアは唯一ナビゲーターの中で「救世主を誕生させるため」に戦っているとされる。
その救世主は、おそらく自身がナビゲートを担当しているPCであるだろう。
それがラルフを肯定するということは、PCとしてのアイデンティティ、エゴの消滅を助長すること…
そのように思える。彼女はあくまでPCがラルフとは違う存在であると期待するのではなかろうか。
 逆説的に、ラルフ・マスケンヴァルはPCと対立する者となる。その心境はいかばかりか?
繰り返しになるが、この文脈の補完は「エンゼルコア」「エンゼルギア1st」なくしては成立しない。想像の余地は広すぎる。
2ndのみから汲み取った持論を先に述べる。

前作主人公の心境考察

以下は完全なる独自補完、いわゆる妄想であるが。
 ラルフ・マスケンヴァルはアラフニ・ナタンゾーンと、東雲・光子と、ヒロイン達と交流を深め、子を成すほどとなった。
マスケンヴァル計画の草稿によれば、彼は強い天使の血、強い人間の心、
すなわち意思と感情、何より他者との繋がり深き男だったらしい(ES199)。
だが世界は天使に厳しかった。ヘルプストハイム法(基本29)の爪痕も残っただろう。
彼はその深き愛にて、周囲の天使=人間を救うべく行動した。
差別なき世界を作ろうとしたのだろう。だが彼は人間と天使の「共存」を果たすこと叶わず、天使に世界を明け渡すべく…天門を開いた-マンハッタンの覚醒-のち、人類の制圧に乗り出した(基本30)。
人間に対する過度な愛着が失望として現れた結果、現在の教皇としての行動に繋がった。
つまり「人と天使の共存」ではなく「天使として変革した人類の生存」、
「差別なき世界」ではなく「区別なき世界」を作るべく行動している…。
もはや人間と天使の共存ではなく、人間を天使にすることを目的としているのだ。 
 この空想に立脚すれば、アンチテーゼたるPCは「天使との共存」を果たせる者であり、天使の血を強く残すセラピアは、それをPCに期待しているのではないだろうか。
だが、かつて周囲とダーザインを結んで総統を打倒した教皇すら、世界の否定に走ったのだ。
PCが同じ道を選ぶ可能性はないわけではない。このようになりうるという例が彼なのだから。

それぞれの【ラルフ・マスケンヴァル】像

 もちろん違うシナリオ運びはいくらでもあるだろう。
例えば…ラルフ・マスケンヴァル本人はすでに死亡している。
だが彼を愛した、あるいは利用価値があるとする者にクローンが作られ、
現在は人目を避けて法王として天使を使役している…などということも考えられるか。
これを採用する場合は現在のラルフ・マスケンヴァルは別物であり、端的な悪役となる。

【八坂・凍】天使と人間の差とは?

 天使はいったい何を考えているのか?それを紐解くにあたってのキーパーソンが[八坂・凍]である。
二千年前の救世主は神に何を求めたのか?おそらくは結果的に地上に留められた天使は何を思うか?
彼ら彼女らにとっての望ましい世界は?そして[メタトロン]の写身たる八坂は何を未来に願うのか?
エンゼルギアがNPCから切り離し難い理由の最たるにして、扱いも最難関たる八坂についてを掘り下げることは、PL/GMがエンゼルギアというシステムに向き合った総括の1つとなるだろう。その一例を示すことを試みたいと思う。
 天使の役割は何か?それは神の意向を人に伝えるものである。
あるいは権能を奮い、人に神罰を与えるものである。権能はオーギュメントと同質のものだが、
同じものではない。天使と人間は別の存在である。
 だがエンゼルギアの世界においては、そうではない。人間が天使の血を引いているためだ(ES193)。
その血によらぬ共通項は[福音]にて述べた[アガペー]である。
ともに神に愛されている「だろう」という点だ。それを天使は知りたがっている(ES215)。
 ここにおいて補足がある。基本47の欄外の【共鳴反応】だ。
ESにおいても【共鳴判定】というものが存在し、これは強制的にPCのアガペーを高める。
オリジナルとクローンを接触させると誤作動や記憶劣化、急速な天使化が発生するという。
ドッペルゲンガーが有名だが、全く同じ人間は二人存在してはならないとされる。
これは自己同一性の担保が不可能だからだ。私はかけがえのない私であるという意識、
それが人間が他者と己を分けるために必要なものとされる。
天使は軍団〈レギオン〉である。また共鳴を引き起こすことができる。
これは日頃から共鳴しデータを共有している…つまりは群を以って自我と成す、真社会性存在であるか、
あるいは全ての人間に共通するオリジナルの要素を、原初の血に訴えかけ共鳴しているか、となる。
前者ならば、天使の大多数に確固たる自我が存在しないが故の、魂の拒否反応となり、
後者ならば現人類は天使の血が入り、共通する、集合的無意識に訴えられている、と推定される。
 天使に自我が存在しないなら、八坂の自我が薄い理由、またクローン技術に天使力学が用いられるから…そのようなロジックとなるだろう。
 一方で天使が集合的意識であるならば、彼らが人間を知るために人間を攻撃する根拠となりうる。
人間は肉体という器に魂を押し込めることでエゴ、己に立脚した欲望と、自我を持つ。
だが天使は本来、器を持たない。アガペーが高まると受肉化して天使化することもあるが、上位の天使ほど純粋なエーテル体に近づく(基本38)。
そして天使は「どうして人間を神が愛するのか」と考えている。
自らこそが神に愛されるに相応しいと考えているかは不明だが、天使は原点としては、人間より上位存在として自分たちを位置づけていることが多い。
そのため人間を肉体という軛から解放するためにエーテルを放出し、人類を塩の柱、つまりはエーテル化した後の残りとして「解放してあげている」のではなかろうか。
 霊素は地球にあまねく存在している。人を大気に溶かし集合的意識となることが目的なのだろう。
 しかし、メタトロンは人間の肉体を得てまで存在を残すことを望んだ。これはいかなることか?
考えられることとしては、メタトロンは「代替不可能」な高位の天使であり、元から唯一性を担保していた。レギオンの心臓部である。しかし心臓が自我を持つわけではない。
あくまでも「他の天使に優越する」生存本能に従い、人間を利用した結果(ES192、ES204)
自らも器を得たことで自我を持つに至ったとするべきであろう。
天使と人間の差の最たるものは、集合的意識/霊素、自我/肉体のどちらに立脚するか、とする。

【黙示録】

 
 であれば人間を知ったメタトロン=八坂・凍≒雛子・K・ガイストの役割とは何か。
ナビゲーターの役割は救世主の誕生の補佐だが、これを自覚し能動的な行動を取るのは、セラピア・パルマコンだけであるという特記がある(ES198)。
八坂・凍の半分が天使であるならば、製造時の目的意識は半分は天使のはずだ。
天使の目的とは何か。前項を踏まえれば、人間の脆弱な肉体を破壊し、他者と傷つけ合うエゴから解き放ち、自分たちと同一の集合的意識の一員として人類を迎えてやろう…ということだ。
 ラルフ・マスケンヴァルが望んだと「仮定した」天使と人類の同一化とはすなわちこれであろう。
だが肉体あっての人間の精神=エゴ。そのダーザインを乗り越えた奇跡が推奨されている以上、天使が人類を同一化する結末は「PCが関わらなかったもの」つまりバッドエンドなのである。
 それを回避するためには、天使と平等な存在となることではなく、対等な他者として、世界を分かち合う必要があるのではないだろうか。 
 熟達したTRPGプレイヤーにおいては無口系キャラクターの扱いにくさは承知の上と思われる。
その上で[八坂・凍]をメインヒロインとして据えたのは、クリエイターの性癖だけではなさそうだ。
むろん「天使という存在から生まれた」エゴのなさ、人間的経験の乏しさの表現ではあるが、ソレ以上に「PCから会話しに行って欲しい」という配置意図があるのではなかろうか。
 セラピアは多くを知りながらも語るべきタイミングを弁えている。
八坂はどうだろうか。多くを知っているのか?知らないのか?人類の敵なのか?味方なのか?
それを受動的に表現するキャラクター性に設定することで、PLとGMが卓を掘り下げていき、エンゼルギアというものに向き合わされるような造形になっているのでは、と邪推するものだ。
 八坂の役割はすなわちここにある。あくまでも[八坂・凍:PC]とは別の思想を内包しつつ、共に歩み救世主の誕生に立ち会うこと…ソレ以上は、彼女によって引き出された卓の能動性、主体性に強く任されているのだろう。
 少なくともメタトロン=八坂もダーザインを上げていくにつれ[PC:八坂]に好意を表す。
人類への好意はさておき、メタトロンも個人、そこから人間を肯定する余地はあるということだ。
 繰り返しになるが、二千年前の救世主は天使の存在を肯定した。
そのために千年前に再契約が発生しなかったのではないか、という説すら見られる(ES195)。
 かつて神と契約し、人の手で殺され、黒い巨石を残した(基本44)彼だが、真摯に天使と向き合った、
その事実は今に残る天使の血脈から察せられるところのようだ。
そうして望まれた世界は、ラルフ・マスケンヴァルによって召喚された天使により結末を迎える。
ここに至る第一から第七の喇叭までが、かつての救世主が規定した路線だったのだろうか。
あるいは千年前にも再契約は発生しており、歴史に残らぬ救世主が残した傷跡だったのだろうか?

【二千年前…】

 蛇足だが、「喇叭」を推し進めたアラフニ・ナタンゾーンとラルフ・マスケンヴァル(ES214)について。エンゼルコア履修必須。
その予言は誰が始めたものか、おそらくは二千年前の救世主の関係者が残した予言書による(ES197)ものだが、
信憑性はいかほどか?少なくとも第四と第五の喇叭はヴィヴィリオも予言している(ES197)が、ベリアルによる予知か?
あるいはオリジナルの彼女が持っていた知識なら、情報ソースにアラフニが挙がる。
あるいは、その両者ともに、アラフニが長年生きた原初の天使として得た蓄積によるものだろうか。
二千年前あるいは千年前においては、解釈ではなく空想となる。各GMの遊び心が試されるだろう。
また第四の喇叭におけるヤシマに響いた不明瞭な声の主は誰か?も明示された謎か(基本35)。

【現在】

 
 要約すると、救世主たるには、人との繋がりに立脚した上で(ES195)、神と向き合う必要がある。
だが神と向き合うには、そのツールである天使と向き合う必要がある。人と神を繋ぐものが天使だ。
歴史に残る救世主はそうした。現在の救世主においては、八坂というツールが存在するというわけだ。

【ヴィヴィリオに込められた願い】

 舞台装置としてのヴィヴィリオは、PC達の協力者、PCの活躍を円滑に表現するための権力である。
だが個人としての彼女は、複雑なバックボーンを持ち、優しくも非情に徹する人格者とされている。
エンゼルギア2ndにおける天使大戦は、彼女とラルフ・マスケンヴァルによる救世主を巡る争いだ。
ではヴィヴィリオはどのような救世主としての意向をPCに望むのか?
ラルフ・マスケンヴァル以外の世界の舵取りが誕生すればそれでよいのか?
ここについては各自に譲れぬ解釈があろうが、あくまで例の一つとして試みに記すものである。
 ヴィヴィリオはクローンとして量産された。だが八坂の欄にて言及した自己同一性の崩壊はない。
なぜか。それはエンゼルコアにて通じたラルフ達との交流の中で、
すでに他者と交流するに足る自我を会得し[ダーザイン]、ここにいるという自我を確立したからだろう。
ここにおいて同一存在であるヴィヴィリオ/ベリアルと対話しても、互いを別として認識している。
(蛇足。ベリアルという名前は合衆国の天使→ヤシマ、統一帝国に堕した天使としての皮肉だろうね)
彼女にとってはラルフ・マスケンヴァルは自分たちのダーザインにかけがえない存在であるはずだ。
また彼女は天使の落とし子、写身である八坂・凍、また瑞穂中学校の生徒を大事にしている。
彼女自身が戦争の忌み子なのだ。それと天使を全否定する心境にはなれないだろう。 
 総合するに、草薙がヤシマを取り戻した後にセラピアがラルフ・マスケンヴァルを否定し、八坂が天使との和解の余地をつけた後に…それらを肯定し、やさしさが生きる選択肢を取る救世主が…ラルフすら肯定した世界を再契約により果たしてくれることを期待している…
その偉業を考え、向き合うということ。それこそがヴィヴィリオが、ひいてはデザイナーが読者に期待した姿勢であると、
筆者に寄る独自の結論をひとまずつけたところで、この本文を締めたいと思う。

【参考文献】


エンゼルコア
エンゼルギア1st
エンゼルギア2nd
エンゼルギア2nd:サプリメント[エンドレスサマー]
ゲーマーズ・フィールド

全文は上記2書の引用のもと、柚葉と同卓者によるものとする。

後書き

【本論に当たっての改善点】
・ルールブックおよびこの文章の検索性の向上。
→目次をつけて様々に混ざりあった別の話題を小分けする。
→具体的には「書かれている情報から確定可能なことの考察」と「確定不可能な空想の余地」など。
これは限りなく近く、事実と推論を分けるにあたっても自力のみでは難しいか。
・ルールブックは情報が分散しており、これについては、ここを読めば良い、という参照をまとめる。
→国家と軍事、黙示録と救世主、人物…のように分けるのが良いだろうか?

・GM向けの補足の具体案の増加。現状、理屈はともかく分かりきった結論に終始しているかもだ。
・システムと世界観が不可分という視点からの本文だが、ここは切る…気にしなくても遊ぶことが出来るという意見も挙げ、シンプルに突き詰めた必要な部分を要約したい。オリジナルキャンペーンの一助となるはずだ。

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