派遣録80 闘病記 一時帰宅と夏。“横浜”への道

 一時帰宅の涙💧

2011年夏、俺は一時退院した。
数ヶ月ぶりに、浜松医大の外に出た。

身体は立てて、動けるようになったが、以前とは違い、不自由。視界の欠損は減ったが、半側視肥大(視界の右側が大きく映る)や幻覚は続いていた。
さらに、手術の影響で左足と左腕が少し不自由になった。言葉は相変わらず不明瞭なまま。
身体は不調…。

それでも俺は自宅に戻れたのが嬉しかった💧

(一時退院が)無理だ、とかダメだ、などとは思ってなかったが、あの手術直後の酷さから、一時的たが退院など考えられなかった。
それが退院できた。

両親が退院の手続きと送迎に来た。
二人とも嬉そうだったのを覚えている。

親父の車で帰宅する途中、1度その車中で吐いた🤮
3ヶ月の入院だったが、車の振動に俺の頭が付いていけず、回ったのだ。
ひどい車酔いだった。
そんな事、これまでなかったのに💦

そして、自宅に着くと、俺は不覚にも泣いてしまった💧

俺は嬉しかった。本当に嬉しかった。
まだまだ身体は言うことを効かないが、手術直後からの酷さから、ここまで(自宅)に戻れたのが、とにかく嬉しかった。

 

 横浜と“信者”

家には戻れた。
だが、俺の頭の中(後頭部内)にはまた腫瘍がある。一度の手術では取りきれなかったのた。
それを取らなくてはならない。
まだ半分残っていた。

俺は松山医師(仮名)が示したように、神奈川(横浜)にある放射線クリニックへ行く事になった。

そこは世界中から患者(放射線治療)が来る、ちょっと有名なクリニックだった。臨床数が世界有数らしい。

俺はここで放射線を頭に撃ち込む事になる。
気になったのは費用。
保険適用で一発約80000円。五日間で合計五発の放射線を俺の頭に残る腫瘍に打ち込んだ。
合計40万円。
俺にこんな価値あるのか?

だが、親父が費用を出してくれた💦
だから、今の俺かある。心から感謝している。

そして俺が覚えているのは、新横浜のホテルに向かう途中にあった雑居ビル🏢🏢🏢

付き添いできた親父がタクシーの運転手に「…横浜って、都会ですね。こんなにビル🏢があるんですねー」と感じたままの事を話した。

すると、運転手は笑いながら話した。
「あー、これ? ほとんど新興宗教のビルですよ(笑)」
親父は仰天し、俺も内心で驚いた。
新興宗教って、こんなに儲かるのか?
心から驚いた。
ほとんど、信者らの“お布施”💴で建てられたビルらしい。
人の信じる心は、凄い。
何かにすがり付きたくなると、人はどこまでも従順になる。
“救われたい心”は集約されるとこんなビル🏢を建ててしまう。
「こんなもん信じでどうにもならんのにね(笑)」と運転手は笑っていた。

信者は凄い、と思った。 

ならば、病気(脳腫瘍)になった俺は何かを信じていたのか?
俺が信じていたのは、松山医師と現代医学だけ。
後は少しのお願いだ。

今(その時)の俺がいるのは、“神様”や“誰か”のおかげではない。
俺の“生きたい”という渇望浜松医大の松山医師らよ手術技術僅かな幸運✨だ。 
そして治療にかかった費用💴だけが、リアルだ。
“神”などの力ではない。

神などいない。

だが、神様を信じたくなる“信者”がこの世にはいて、こうしたビル群🏢🏢🏢を生む。
冷静になれば、神などいないのが分かるはずだ。
神様”にお金💴を払うのは個人の自由だ。
だが、“神を名乗る者”にお金💴を渡すのは、詐欺だ。
こんなもの🏢を建てても、誰も救われないだろう。
タダなら良いだろう。好きなだけ拝んでお願いいたしたら良い。お金💴など渡さない。
ビル🏢を立てている時点で、それは人間だ。詐欺だ。
馬鹿馬鹿しいが、この横浜での光景が横浜での一番の思い出だ。

そして、これが“地獄の始まり”だった。


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