派遣録66 【思い出の仕事1】倉庫内処分(旧社会保険庁)
思い出の“倉庫内処分”
課長不在のまま、2ヶ月ほどが経った頃(と思う)の事。
さすがに上司不在状態はマズかったのか、国民年金課の課長が“スライド”して、俺達の適用調査課の課長になった。
この頃(2010年夏)、年金記録問題のクレームも収まり出し、少し落ち着いた感じがあった(と思う)。
具体的な期間は覚えてはいないが(…夏頃だった記憶がある)、ある日、福原から「倉庫にある“前”の残留物や備品を処分する」と言われた。
事務所の駐車場の奥に大きな倉庫があり、そこには社会保険庁時代の備品が詰め込まれていた。
それを一斉に処分(引き取り業者へ渡す)という事らしい。
だが、ただ“捨てる”のではない。
「備品一つ一つの重さを量ってくれる?」と福原は事も無げに俺に言った。
ちなみに備品の量は単なる書類から、保険庁時代の椅子や机、ロッカー、冷水機まであった。
思わず「どうやって量るんすか?」と俺が尋ねると、福原は俺の戸惑いを察してか、笑いながら「…きっちり量らなくても大丈夫だよ(笑)」と言った。
なんと、事務所にあった体重計を持ってきて、それで「倉庫内の廃棄物全てを載せて量って」と言われた。
(…コイツ、マジか?)と思った。
どれだけ備品(廃棄物)があると思っているんだ。それも椅子やテーブルがある。
それを人の乗る体重計で量る⏱️?
だが、これを本当にやらされた。
細かい備品(文房具)から、椅子、ロッカーまで本当に体重計で量った。
ものすごい量の備品た。1日で終るはずがない。
俺は約一週間、この作業(重量計測⏱️→廃棄)をすることになる。
1日目で、俺の白シャツは汗でぐしゃぐしゃになり、次の日から着替えを持って通勤した。
そして、朝から体重計を持って倉庫に入り、計り⏱️に載せては重さをメモした。
そして、未測定の廃棄物と分けて置く。
という行為を繰り返した。
年金事務所で行った仕事の中でも、俺はこれが1番思い出に残っている。
一週間、ひたすら倉庫の中で備品を持ち上げ、量って⏱️いた。
旧社会保険庁時代のものと思われる書類(たぶん届出書などの写し)はそれほど多くなかった。
記録問題もあり、書類の取り扱いはかなり慎重になっていたと思われる。
ちなみにロッカーなど、明らかに体重計などでは“オーバー”してしまう備品は、福原が「適当に書いておいて(笑)」というのでそうした。
冷水機など信じられないくらい重く、正確な重量など全くわからなかった。良かったのかな?
計量が終ると、引き取り業者(粗大ゴミ回収)がきて、備品は持っていかれ、書類などの紙類は特別な業者で溶解(溶かす)
民営化への“枷”
断っておくが、俺はこの作業(測定→廃棄)が嫌だったわけでは無い。
確かに、倉庫に一人きりでひたすら備品を計る、それも“粗大ゴミ”(椅子とか…)を黙々と運ぶ作業は、(あれ? 日雇いの時と変わらない?)と思った。
倉庫業の仕分けなどで、たまにこうした移動する作業があったからだ。
しかも、既に同僚(アシスタント職員だった)の池田はいない。順職員になり他の事務所へ移っていた。
福原も通常業務に忙しく、山代も受付に異動、他の適用調査課の職員は厚生年金業務。庶務係で動けるの、俺一人…。(新任の課長が手伝うはずは無い)
朝から孤独に“粗大ゴミ”と戦っていた。
(ひょっとして、この為に俺は採用された?)と思ったりもした。
さらに、“通常業務”も継続。
“ゴミ測定”の合間に、届出書をファイリング(パソコン)し、帳簿の出納帳を書いて所長の判子をもらっていた。
またも俺は忙しかった💦
だが、倉庫内の作業に関しては、そこまで嫌な気持ちは少なかった。
これも仕事だし、パソコンにかじりつきキーボードをぶっ叩いているより、少し良かった。
それに、他の職員からは「頑張れよ」とか「大変だねぇ」などと労りを言われたりしたので、完全に孤独、というわけでもなかったさ。
これは“パワハラ”だったのか?
そうではなく、正規職員である福原も他の事務所で同じような“処分作業”があったらしく、後日出張して手伝いに行き、俺に「あれ、大変だね(笑)」などと言っていた。
あのエリート面した福原も同じような作業をしたのだから、これは東京の本部からの“指示”で、絶対的な仕事だったのだろう。
この『旧社会保険庁時代の備品廃棄』はどの事務所でも行われていたようだ。
うちの事務所は適用調査課の課長が新任でまた福原が庶務部分を担当していたので、俺の手伝いまで手が回らなかったのだろう。
職員個人には1台ずつ、パソコンが支給され、さらにそれがLANで繋がっている。
出勤打刻などはそれで行い、本部(東京)や事務センター(ブロック)や県本部からの指示はそれで一斉に伝達される。
俺達職員は、毎朝、“上部”からの指示をメールで確認し、上司(課長など)からの命令にも従う。
そこは、完全な上意下達の世界。
この『備品廃棄』もおそらくは、課長ないし福原に、指示があり、それを俺に促した、というだけであろう。
年金事務所は民営化されても、そこはまた“お役所”であり、“上”の指示を“下”はただ聞くのみ。
それで組織(年金機構)は動いていた。
『民営化』と書いたが、どこの会社でもそうだろう。
指示する者(上司)がいて、動く現場(部下)がいる。
日雇い派遣もそうだ。
指示する派遣先があり、動くのは、日雇い労働者(俺達)。
これが、社会や組織の縮図。“枷”だと思う。
確かに大変で、面倒だが、現場の誰かがやらないといけない仕事だ。
旧社会保険庁の頃の“遺物”をいつまでもおいておく事はない。
そう“上”が決めたなら、“下”(俺達)は動くだけだ。
それが、わかっていから、何の苦もなかった。ただただ薄暗い倉庫で午後5時15分まで粗大ゴミを計っていた。
気が付くと、秋が近づいていた…。
この頃には、大嫌いな“志の輔”課長が去り、俺は年金機構という組織に馴染もうとしていなのかな?
だが、この後、俺はこの組織が真底嫌になる。これは病気(脳腫瘍)が発症する前の俺の話だ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?