派遣録 85 再び派遣へ。

日雇い派遣君“第4期”へ。

ようやく話が日雇い派遣の事に戻ってきた。
2012年の春(4月)、2回目の脳腫瘍手術を終え、退院した俺は年金機構(アシスタント職員)を辞め、再就職先を探していた。

そして見つからなかった💧
当たり前だ。
30過ぎの脳腫瘍を患ったおっさんを喜んで雇う会社はそうそう無い。

(まだ30代半ば。…俺を雇いたがる会社はきっとある…)

そんな事を思っていた俺は甘かった。
全く見つからなかった💧

俺の愚かな自尊心と期待は急速に減退し、そこに『年金事務所からの準職員応募』(その年の6月)の求人を見て、俺は怒りまくった。相当、頭に来ていた💢
辞めた後悔はなかった。
前回書いたように、年金機構の“やり口”や俺への“対応”に頭にきていた。人を舐めるのも、大概にしろ!
(別の会社に早く採用され、見返してやる💢)と心に誓っていた。

だが、俺の仕事は決まらなかった。全く決まらない💦

仕方なく、俺は年金事務所で働く前にしていた日雇い派遣で“当面の日銭”を稼ぐ事にした。
あくまで“臨時”だ。
しっかりとした、長期の仕事を見つけるつもりでいた。
俺はまだ30代半ば。病気にはなったが、バリバリと働く気持ちだったし、できると思っていた(かしん?)

こうして、俺の『日雇い派遣第4期間』が始まる。

この頃(から今まで)にしていた派遣は、

市役所臨時職員(市内各地)
チラシ配布
倉庫でのピッキング
大型食品工場の地下
農作物収穫手伝い
DVD工場
荷物(部品)運び
クリスマスイベント
南区の精密工場
三方原の工場
病院清掃
スーパーの品出し
食品工場での野菜カット

…などだ。(太字は日雇い派遣ではなくバイト)

さらに最近している日雇いは、

炭火焼きレストラン
介護施設
倉庫荷物仕分け(複数)
冷凍倉庫(?)
喫茶店
……。


…となる。
他にも山程しているので、思い出しながら書く。
再び書くが、太字は日雇いではなく、期間の長い通常派遣(もしくはバイト)であり、『炭火焼きレストラン』以降は現在、特に去年(2023年)から本格的に応募している派遣現場だ。

ま、今も俺の立場は非正規(バイト複数)なので、この“第4期”は今も続いている事になるなあ。

ここからは一つずつ思い出しながら書いていこう。

まずは…、

臨時職員

年金事務所を辞めて数ヶ月(2012年)、俺は就職先が全くみつからず、6月には“例の求人”にぶちキレた💢

だが、それでも金はいる。
実家暮らし。
両親は年老いている。
これ以上、俺は両親に迷惑はかけられなかった。
とにかく働きたい(年金事務所以外で…)

 そんな俺がすがったのが『市役所の臨時職員募集』だった。
浜松市では、市役所(区役所)で働く“臨時”の職員を募集していた。それをたまたま見ていた市の広報誌で知った。

年金事務所にいたので、こうした公的機関には多くの非正規職員がいることを知っていた。
そして俺は仕事が見つからず、四苦八苦していた。
ちょうど、名古屋の税務署職員に応募し、その面接官の態度にぶちキレ💢た頃だ。

期間は1ヶ月。
月給は13万くらい。
仕事は市役所やそれらの機関での事務補助だ。

俺はこの募集を市の広報誌で見つけるとすぐに応募した。そして履歴書を送付した。
とにかく金💴がなかった。

そうすると、すぐに採用された。面接もなかった。
病気(脳腫瘍)だったから?
年金事務所に勤めていたから?

この市の関係の臨時職員は不思議な仕事だった。

まず、連続で勤務できない。必ず1ヶ月契約。そして1ヶ月勤務すると翌月は勤務できない。
おそらく何ヵ月か連続勤務すると、“正社員(正規職員)採用”しなければならないので、それを嫌ったのだろう。
とにかく法律は遵守する。その上で都合よく人を扱う。そこは年金事務所と変わらない。

臨時職員は、浜松市の各地に派遣された。
浜北区役所、中区役所(市役所)、土木事務所、南区の市場事務所などに派遣された。場所は一定しない。これも市役所の都合。
もちろん雇われているので文句は言えない。

さらには副業禁止。
つまり、臨時職員以外の仕事ができない。
今までの俺なら、こういう仕事と平行して日雇いやバイトで稼ぐのだが、それができなかった。

なので、平行ではなく、臨時職員(一ヶ月)→日雇い(バイト一ヶ月)→臨時職員(また一ヶ月)→日雇い(バイト一ヶ月)という“歪な飛び越し”勤務をしていた。

リハビリ

仕事は平行できなかったが、時間があったので、代わりに(?)、俺はリハビリをしていた。
求人誌編集の頃から通っていたスポーツジムはまだ会員登録していて、俺は週に3日ほど通った。

というか、医大でのリハビリは続けていたが、一回の金額が高いのと、(前も書いたが)その時以上の回復を認められそうもないので、“自力”でリハビリすることにした。

スポーツジムは上西町にあり、自宅から遠かった。ま、そこに向かう事自体がリハビリになどになっていた、と思う。

ちなみに今、俺はこのジムの近くに引っ越している。不思議な縁を感じなくもない。

ジムの名前が変わったが、中身も変わったのか?

初めはジムのリハビリメニューを頼もうとしたが、それも料金が発生するので、やめた。

自力でプールで泳ぐリハビリを始めた。

臨時職員の仕事中、役所→ジム→自宅、というのがこのときの俺の“ルーティーン”になっていた。

楽しくはなかったが、リハビリしてサウナ、入浴(風呂)の繰り返しが心地よかった。“整う”といったやつだ。
俺にリハビリはまだ必要だった。身体は回復したが、やはり言葉は全回復できなかった。身体を動かせば回復するかも、と思っていた。

季節は夏☀️、俺はジム帰りに、途中のショッピングモールやゲームセンターでダラダラしている時間が一番心地よかった気がする。

この話はまた書こうかな?

浜松市役所

応募した時、俺が働いたのは中区(当時)の浜松市役所。
その税務に関する課にいた。市役所内には税に関する部署が多くあり、その一つだった。

といっても、臨時職員で大病を患った俺に市役所の税に関する仕事をさせてもらえるはずがない。領収書の整理や備品のチェック、国民年金の口座振替のチェックなどだった。

要するに雑用。
年金事務所の頃とあまり変わっていない。いや、あれより雑用っぽい雑用だったが、俺は気にならなかった。
とにかく働けたのが良かった。
俺は労働に餓えていた。

ただただ病室の天井を見たり、朝からスポーツジムでリハビリしたり、ハローワークの検索機の画面を見てイライラ💢するよりマシだった。

両親もとにかく俺が働きだしたので、少し安心したようだ。

だが、市役所の中の人間(職員)はどうかと思えた。
どこか俺のような“非正規職員”を馬鹿にしているような雰囲気が濃厚だった。
そこは年金事務所と変わらない。“福原”や“志の輔課長”のようなクソ野郎が多かった。
俺のいた税務三課の女性職員などは最初から臨時職員の俺など“下”に見ていて、会話もできなかった💢

またよくあった事だが、知らない職員から「あれ、出して」と言われたりすることがあった。
いつも突然に言ってきた。

その度に俺はカチン💢と来た。“あれ”とは何だ?💢
説明しろよ。
“そう促す”と皆、不機嫌になった。思い通りに動かないので頭に来るらしい。
市役所や公的機関の人間は皆、こんなものかもしれない。
こちらを便利な“道具”ぐらいにしかみていないようだ。

特にこの浜松市役所は最悪だった。
だが、俺にほかに働ける場所はなかった。
そして市役所が潰れる事はまずない。仕事は常にある。
俺はかなり我慢して働いていた。

“公共団体ワタリ”

これは「ちなみに」という話だが、浜松市役所には、俺が年金事務所にいた時の同僚女性(アシスタント職員)が数人いた。
再会して、かなり驚いた。
ちなみに“山代”(仮名)ではない。他の課にいた職員だった。

俺はそこで、こうした公的機関を中心に非正規勤務を繰り返す人間を知った。
彼女らは“安定”で、“安心な”、公的機関で『一ヶ月ごと』でも構わないので働いていた。
民間にない安定さがそういう非正規職員を産んだようだ。
こうした人間を“ワタリ”という。
本来は各地を飛び回る“期間工”を指すのだが、その“公共団体版”だ。

その一人、“藤原”さん(仮名)は「年金事務所の募集があったら、また応募するかな?(笑)」と言っていた。

こうした働き方をする非正規もいる。
そこで、“あの”山代もそういうタイプの人だったのだと、分かった。

…この臨時職員の話はもう少し続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?