見出し画像

ホームレス:モリケンさん

結論から言うと、最終的に日本共産党の市議に依頼して市営住宅に入居という結果になったのだが、当初は本人も拒み嫌がっていた。話を聴くと、青森県出身の高齢者でありパンクした自転車に荷物を積み、南下が希望であった。髪の毛も歯も無く文盲で会話は出来るが字が読めない。結論に辿り着くまでの約1年間のプロセスは2014年1月2日に国道四号線NHK近くの歩道橋下にいるモリケンさんを発見。友人の車内からの発見だったので後日、別の友人と改めて現場に行くとホームレスだった事が判明。噂では1~2年前から歩道橋下に住んでいたらしい。近くに住む人達の差し入れや公園で野宿したりして寝袋の中で暮らしているという。警察署や消防署に連絡するも【管轄外】と断られ見回り程度ならしているとの事。キャンプ用の飯盒を使用していた。友人も細やかながら様々な生活必需品をプレゼントした。しかし我々がオオゴトにするものだから歩道橋下に【占有権侵害】の国土交通省の看板が立ち、更に目立ってしまったモリケンさん。『ほっといてくれ』とソッポを向いてしまった。が、東日本大震災後の極寒の地である被害3県でホームレスを見殺しには出来ない。被害者支援対策として市議に連絡。暫く経って現場に行くと、もぬけの殻。聴くと市営住宅に住んでもらう事にしたという。確認の為、盛岡市役所『市民生活課』に電話をすると間違いなく市営住宅に居る、との事でホッと胸を撫で下ろした訳だが『親族の方ですか❓』という質問に『いいえ、違います』とだけ答えて電話を切った。

※ただ、今でも本人はホームレスでも幸せだったのではないか、隔離された管理社会システムに閉じ込めてしまったのではないか、と自問自答してしまう。市営住宅に住む事が必ずしも幸せとは言えないだろう。本人の幸せを奪ってしまったのでは、とも考える。本人は拒んでいただけに‥。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?