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側から見ているだけではわからない

instagramをやっている。

言わずと知れた、写真メインのSNS。

もう15年くらい前からアカウントだけは持っていたのだが、一時離れ、そしてまたインスタグラムに戻り細々と記録を残している。知人以外は非公開だけど。

近年、インスタの母体metaがThreadsという文字主体のSNSアプリを立ち上げ、インスタからスレッズへの誘導が激しい。

インスタの私のキーワードから私の興味のありそうな内容をピックアップしてランダムに話題のスレッドを表示しているのだろうが、表示される育児ネタには大抵、批判的なコメントがついている。

だからスレッズだけを読んでいると、なんと育児に対してネガティブな印象を持っている人が多いのだろうと驚くし、こんなんじゃ少子化するわな、なんて思ってしまうことも。

そんな批判的な人に育児中の私から言いたいことは
「育児も結構楽しいんだけどね~」
のひとこと。

子どもを産むまでは正直、子どもの泣き声は苦手だし、新幹線の座席を後ろから蹴られるのも嫌いだった。公園ででかい声で騒いでるガキも嫌い。だから子供がいる人生への不安もあった。
一方で、ただただ優しい時間が過ごせるのではないかという甘い想像だけで具体的なシミュレーションもせずいきなり育児生活に飛び込んだ私である。
育児生活10年目の現時点では、育児とは人生をかける価値のある親が成長するための人生のステップだと感じている。

育児には必ず「修行」と感じるシーンがつきもの。
その修行に対してつらい思いをし弱音だったりネガティブな発言をついSNSでしてしまう人もいる。(もちろん私も)
ただその小さな修行を乗り越えるたびに自分が磨かれ成長しているのも事実。
子どももすごいけど私自身の成長もすごい、と自画自賛してしまうくらい、私は産前と産後で変わったと思う。

「育児=つらい修行」の部分のみ切り取り、純粋にかたくなに信じてしまい「私は子供はいらない」と思う人もいるだろう。
「牛乳を零すなんて最悪」とかさ。みんな、どんな親も、そう思ってたよ。
でも育児を始めてみたら零された牛乳を拭くことが屁でもなくなる不思議w
(いや、言い過ぎか。やっぱり嫌だな)
対価が発生しないと自己投資したくないという考えもあるようだが、育児修行の後は必ず成果がある。しかも一時的な成果じゃない。親に生涯与えられる成果だ。
そして
「子どもが居なかったらこんな場所に来ることは無かった、こんな経験は絶対にできなかった」
と思う素晴らしい瞬間がたくさんある。
この成果があるから家族ができてよかったと思う。
私は独身の時よりもずっと自分のことが好きになった。

まだ私は上の子でも育児の折り返し地点に来たくらいで、これからもひとやまふたやまあるだろうし、うちの子たちだって弱点はある。完ぺきではない。完ぺきな育児なんてできてない。私は佐藤ママとは違う。
「なんであっちの子ができることがうちの子はできないんだろう…」と子供には言わないにしても、どうしても心のすみっこで思ってしまうこともある。
だけど、「家族は宝物」がベースにあるものなんだよ。
スレッズ一文を読んだだけでベースにあるものに気づかず表面だけを切り取る癖はやめたほうがいいだろう。その思考のクセはあなたの得にはならない。

私だって「育児も結構楽しいんだけどね〜」の裏にはこんなにズラズラと言いたいことがたくさんあふれているのだから。

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