40代女性による友達考察
もし私が今、病で余命宣告され入院したとする。
最後のお見舞いに来てほしい友達…誰だろう。と、ふと考えた。
その時には、もはややつれた顏を見られたくないだとかスッピン見られた方が寿命縮むだとかの自尊心は無くなっているのだろうか。まあそうだろう。
最後に会いたい人。
今日常で連絡を取っている人で、来て欲しい人。来てくれる人。果たして居るだろうか。
今はどうしてもママ友中心の関係性が多いが、最後に私が会いたいかどうか微妙だ。向こうも来たくないだろうし…。一人くらいはいるかな?
ピアノの先生は来てくれるだろう。なんとなく。
子供関係で知り合ったが、数年に一度しか会っていないのにこの人は来てくれるだろうという不思議な仲の人がいる。うん、彼女は来てくれるだろうし、私も会いたい。
大学時代の友達は…来てくれるかな…一人くらいはいると良いな。
高校時代の友達はもうだめだな。去年、ネットワークビジネスのカモにされた。
ことあるごとに思い出しては腹立たしくなる記憶。(お支払いはしていないしむしろ現品プレゼントをいただいたくらいだし被害はないけど)
私が会いたくない。
他の高校時代の知り合いは年賀状レベルのやりとりで、近年それすらも怪しい。つまり没交渉だね。
会社関係で知り合ってもう20年来の友達は来てくれるかな、多分。
こうして洗い出してみる。友達というものを考え直してみる。
大事なことを相談できる相手は本当に少ない。信頼に足りうる相手というものはとても少ない、と思う。
深刻な顔をしつつも 私のことを 面白おかしく騒ぎ立てるだろう相手の方が多いなと思ってしまったり。もうこう思うような相手は友達ではないな。知人か。
だからと言って落ち込むというわけではないのだが。友達は多いと真摯に付き合うことが難しくなってしまうから、私の性格的に「本当に信頼できる友達」は少ない、で良いんだ。
いまわの際に会いたい人、という尺度でみると、「友達」は自ずと厳選されていくものだと思った話。
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