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40代後半にしてスピ系にハマる人の気持ちがわかる

40代後半ともなると経験がそこそこ増えることにより、20、30代とは違った心境を持ちうるものである。

図太くなった部分もあるが、繊細な部分もある。
基本的に図太く日々を送っているが、ふと気づくと何か息苦しい時も。

その息苦しさに自分で気づいていないことも多く、少しだけ自分を甘やかした時に「ああ、私、疲れてたんだ…」と気づく。
本当はもっとコンスタントに自分を甘やかす習慣をつけた方が良いのだが、なかなか…。

産後に知り合った人がいる。Hさんとする。
その人とはとあることを介しての知り合いで、人生の先輩。

しょっちゅう会うような友達関係ではなく、むしろ日々いっぱいいっぱいなので
Hさんに会うよりも優先したいことがある、というのが正直なところ。
だが、必要に駆られて年に一度くらいは会う機会がある。

必要に駆られて…ではあるのだが、この人に会うと何故か「気づいていなかった私の息苦しさ」を吐露してしまったり、見抜かれてしまったりする。

「体は温めて、お水飲んでね、少し無理してでも自分の時間を取ってね」

なんて、ネットでもよく見かける基本的な生活ポイントであるにも関わらず、スルーしがちな処世術。それを他人から私に面と向かって言われるだけで全然違う。すっと入ってくる。

そしてHさんと会った後は少し元気になっている。主に心が。

そして思う。スピリチュアルにハマる人の気持ちが少しわかるなと。

Hさん自身は決してスピなわけではなく、先輩としての経験から私の窮地をズバッと見抜かれているだけなのだろうと推察はされるのだが、その佇まい、声の掛け方など、多くの人がこの人と話すことで癒されているだろうと実感する。
そしてHさんご自身も、出会う人を大切にしているように思う。それが仕事の一環だとしても。

私ははっきり宣言するけどスピ系の何某は苦手だし敬遠する。だけど、人は「オーラ」をもっていることを認めざるを得ない。
Hさんは紛れもなく人をひきつけ、良い思考へと招こうとするオーラを持っている。
こういった人がひとたびなんらかのリーダーになるとカリスマとされるのだろう。

人は「導かれること」により、救われると感じるものだ。何故か。それは正解のない世の中に惑っているから。自分の選択が正しいことなのか、誰かにジャッジして欲しいから。

自分の選択が全て正しいと自信を持ち続けることはなかなかに大変なんだ。

正直、Hさんに会うのが面倒って思うことも多々ある。会うのが面倒なのは「あなた困ってるんじゃない?」っていう心配を受けることで自分の幼さ・余裕のなさを突きつけられるかな。でも会うと、やっぱり疲れてたんだ私ーって思う。

15歳以上年上の先輩で、こういうと失礼だけどいつまでHさんに会えるかもわからない。
私には他にこんな先輩のご意見を伺う機会が他にはなく、失ってしまったらきっとその後は味気ない人生となるだろう。

Hさんに会うと、カリスマ教祖とはこんな市井から生まれているのではないかともこっそりと思う。

かと言って、警戒心の強い私はどっぷりとH教にはまり込むこともできないのだが。
















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